1.
領主の娘とパン
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まぼろし国の食卓より

27. 目には見えないけれどそこには確かに横たわっているもの

「そういえばとアムはどうしてに?」

 山道の先を行く師匠に、気になっていたことを聞いてみた。

「あ、それはわたしが。来年、試練を受けるから」
「ああ、なるほど」

 隣を歩くアムが答える。師匠は前を向いたまま頷いているようだった。

「そうすると訓練で山越えてきたってことかな」
「うん。こっちで野営をしてたら、地揺れがあって」

 腕をこつんと小突かれて顔を向けてみると、リリーが頬を膨らませてこっちを見ていた。それじゃわかんないんだけど、とでも言うように。

「えっと……ぼくたち牧畜の民はね、成人を迎える頃になると、一人前のにふさわしい実力が備わってるかどうか試されることになるんだけど」
「それは確か聞いたことがあるわね。うん……覚えているわ。ええと……そう、訓練で、山越え……っていうのは?」

 記憶をたぐり寄せるように、ぽつぽつと言葉をつなげながら、ちらりとアムのほうを見る。アムと山越えの訓練がうまく結びついてないのかもしれない。

「どんな試練かまでは話してなかったかな。試練っていうのは、の間にある放牧路を、ラクやマウシカを連れたまま、ひとりで歩き抜くことができるかどうか……っていう内容なんだけど」
「一人で!?」

 声がひっくり返るリリーに、ぼくは苦笑して頷き返す。

「そんなに無茶なことじゃないんだよ。牧人はラクやマウシカを連れて歩くのが仕事なんだから。それに、放牧路の途中には魔境があったりするしね。逆に言うとそれくらいできなかったら、牧人として務まらないってこと」

 リリーは信じられないという顔をする。

「えと、トーマも、試練を受けたのよね?」
「ぼくは歩き抜くことはできなかったけどね」

 頬をかいて答えると、アムがぼくの腕をちょんと突付く。顔を向けると、アムは首を横に振る。

「トーマは、何もなかったらちゃんと試練を乗り越えてたと思う」

 真剣な顔で言うアムになんと答えていいかわからずに、ぼくは曖昧な笑みを返すしかできなかった。

「結果は結果だ。あの日に地揺れが起きたこともまた、大地が決めたよ。それに打ち勝つことができなかったのならば、トーマは試練を乗り越えられなかったということ。それだけだろう」
「せ、! そんな言い方ってないでしょう!?」
「いや、いいんだ」

 アムが声を荒げるのを、ぼくは静かに首を振って制する。

のいうとおり。それが事実だよ、アム」

 ぼくの言葉に、アムは悔しそうに俯く。ごめんね。でも、アムがそうやって、ぼくのことを自分のことのように気にかけてくれるのは、素直にうれしいと思う。
 ふと、リリーが黙ったまま、じっとぼくを見ているのに気付く。
 なに? と首を傾げてみせると、彼女は「なんでもないわ」と首を振る。

 師匠が立ち止まる。

「さて、そんなことを話している間に到着だ」

 顔をあげる。

「魔境だ……」
「だから言ったじゃない」

 師匠の先に、魔境がある。
 ぼくの目でも見たらわかるくらいに違っているし、隣にいるアムもそうだろう。

「ごめんよ、アム。でも、自分の目で見ても、これはちょっと信じにくいよ」

 なんでもない山道が、魔境になっている。
 だって、はたから見ると、なんでもない山道なのだ。

 リリーがきょとんと、小首を傾げている。

「魔境って……ここに、何かあるの?」

 あたりを注意深く見回しているけれど、違いに気付くのはむずかしいだろう。もうちょっと奥にいくと、魔境ならではの生き物に出会えるから、ちょっと話は変わってくるけれど。
 ここみたいな魔境の入り口は、一見して魔境には見えない。
 けれども、目には見えなくとも、そこには確かに横たわっているものがある。

「そうだな……アムの訓練になるだろうしな。ちょっとやってみるか。お嬢さん……リリーさんと言ったか」
「リリーで結構です。イオノーさん」
「ではリリー。魔境の入り口だと思うところに立ってみよ」
「えっ?」

 困惑したふうに、眉を寄せたリリーがこっちを見る。

「気付いたら魔境の中にいました、ってわけにはいかないからね。入り口を見定める力もまた、牧人には必要……なんだけど」

 正直、だいたいこのへんから魔境だな、ってわかるレベルがあれば充分だから、ぼくもアムも必要な力は備わってると思うし、なんにもわからないリリーにいきなりやらせるっていくらなんでも無茶がすぎる。

「できずとも構わぬ。構わぬが……」

 師匠がちらりとアムとぼくを見る。

「まったくの素人が正解して、わたしにはできません、というわけにはいくまい?」

 そうしていたずらっぽく笑ってみせる。
 アムと顔を見合わせて、ふたりして肩を落とす。

「そんなことだろうと思ったよ。リリー、適当でいいよ」
「そう言われると、正解したくなってくるわね」
「ええ……」

 妙なやる気を出して、リリーが山道のあちこちを注意深く観察しては、首を傾げ、また観察して首をひねってを繰り返して……しばらくそうやって様子を見ていたけれど、さっぱりわからないふうでため息をつくと、「このあたりかしら」と、師匠の立っていた場所の、数歩先で立ち止まる。

「……なるほど、面白いな。では次はアム。トーマは最後だ」
「やっぱり」

 思わず声に出てしまったけれど、想像はできていた。
 リリーに真っ先にやらせたのは、アムやぼくが先にやってしまうと、リリーがそれを参考にして判断してしまうからだ。
 ぼくよりアムが先なのも、アムがぼくを参考にしないように、ということなんだけど、じゃあぼくはアムを参考にできるかというと、できない。アムより精度のよい回答を求められている、ということだから。
 それくらいの精度で魔境を見分けられるというふうに見られているわけでもあるんだけど。プレッシャー……。

 アムは迷いなく、リリーよりも二三歩ほど手前に立つ。リリーが歩き回っているうちから、だいたいそのあたりだと目星をつけていたのだと思う。

「ここです」

 師匠は何も言わずに頷いて、何も言わずにぼくを見る。
 やりにくい。

 リリーの立ってる場所はもちろん正解ではないんだけど、当てずっぽうじゃないとしたらけっこういい線いってる。

 ぼくは、アムの半歩先に立つ。リリーとアムの間、ちょっとアム寄りの場所だ。

「そこでよいか?」

 師匠の確認に、自信を持って頷く。

「……アムは、後で復習だ」

 アムは師匠の言葉にがっくりと項垂れる。

「自信あったのに……」
「そこはまだ魔境ではない。が足りぬな」
「ええと……わたしは不正解だから……トーマの立ってるのが魔境の入り口?」
「ここも正確ではないと思うけど」

 師匠はぼくの方に近付くと……ぼくのつま先から拳一つ分ほど先に、杖で線を引いて見せる。

「ここだ」

 と言われても、ぼくにもピンとこない。一緒やんけ!
 正直アムとぼくの差だって誤差だよこんなもん!
 心の中だけで叫ぶけど、たとえば怪物退治をなりわいにするなら、この違いを見抜けるかどうかは重要になってくる……牧人は怪物退治はしないけどね。そういうのは冒険家とか賞金稼ぎの仕事。

「どうして、そこが入り口だってわかるんですか?」
には見えてるの。幻素の濃さが」
「見える……って、幻素の濃い薄いが、目に見えるわけないじゃない」

 リリーはアムに反論するけれど、ぼくもアムも首を振る。
 師匠には本当に見えているのだ。

 疑わしそうに、リリーがぼくの隣にやってくる。そうして線の先と、こちら側と、視線を交互に行き来させる。首をひねりながら繰り返して、「やっぱり目に見えたりはしないわよね?」と不思議そうに呟いている。

 それから、師匠の書いた線の前に立って、ぴょんと飛び越えて、ぽつりと言う。

「この……なんだかちょっとピリッとするのが、幻素? であってるのかしら」
「「えっ」」

 ぼくとアムの声が重なった。

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