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領主の娘とパン
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まぼろし国の食卓より

11. 男爵領の冬

 冬がはじまった。
 カブイモの煮込みばかりを食べる生活が終わろうとしている。
 冬にはセンジンの収穫がはじまるのだ!

 冬に食べる野菜には他にカウェルやタルネギがある。正確にはタルネギは冬に限らず一年通して食べられる。夏の終わりに収穫し、風通しのよい日陰で貯蔵すると、春を過ぎても食べることができるのだという。さすがに夏になって気温が上がるとみやすいようだけど、イスランドは全体的に涼しい。

 ただ、男爵領ではカウェルやタルネギはあまり育てていない。各農村で食べる分を自主的に作るのに限られるようだった。
 農民はカブイモやセンジンだけでなく、カウェルやタルネギも食べる……というか、これらの野菜を刻んでまとめて煮たスープを主に食べているという。

 リリーに尋ねたことがある。

「どうしてこの屋敷ではカウェルやタルネギを食べないんだろう」

 何を言っているんだろうという顔で、彼女は答える。

にいいからでしょう?」
「白い食事?」
「そう。白い食べものには、栄養があるもの」
「同じものを食べてて、飽きちゃったりしない?」
「ものを食べるのは、お腹が空くからでもあるけど……病気を予防するためには、よりよい食事が必要じゃないかしら」

 このときにようやくわかった。
 彼女がグリュエルを薬と言った理由が。
 この国では食事は薬と一緒なのか。

 白い食事のほうが栄養があるというのはちょっと怪しい。
 むしろ緑黄色野菜のほうが栄養が豊富だと思う。

 けれども、ひょっとすると単純にカロリーの問題かもしれない。
 葉野菜よりは根菜のほうがカロリーがある。それは野菜が根に養分を蓄えるからだけど、そういう意味では栄養はある。

 あと可能性として考えられるのは、白い色素がなんらかのポリフェノールで、たとえば抗酸化作用がある……これは完全に想像でしかないので、まったく確証はないんだけど。たとえばフラボンとかは白い色素なんだけど、白いのは紫外線から植物を守るため、だったと思う。

 でも、だからといって、砂糖や塩が白いのはそのような色素によるわけではないし、白いものすべてが栄養が豊富というわけにはいかない。

 緑黄色野菜……と思ったけど、よく考えるとそのような野菜はあまりない。
 植物事典を読んで知ったんだけど、この世界にはトマトもパプリカもカボチャもない。果菜類自体があまり種類が多くないみたいで、その少ない果菜類も冷涼なイスランドでは育たない。もう少し温暖な国では、ベニウリやニスビという赤い果菜を育てているらしいんだけど。

 葉野菜は、カウェルのほかにロスケットというのがあって、春から夏にかけて食べることができる。緑の野菜も食べたほうがいいよ、って、なんとかリリーに教えたいけど、理解をえられる自信がない。

「農民はいろんなものを食べているけれど……よく病気になったりするじゃない。白い食べものが足りていないのだと思うわ」

 なんて言われてしまったのだから。

 確かに牧畜民や農民のほうが病気になりやすい。
 でもそれは食べもののせいだけじゃない気がする。

 でも実際、この世界の緑の野菜が白い野菜より栄養価が高い根拠もないし、そういう世界だという可能性もないわけじゃない。
 それでも、より多くの種類の食べものをったほうが、カバーできる栄養素は増える。これは確かだと思うんだよね。

 なにより、ぼくが食べたい。いろんなものを食べたい。
 いろんなものを食べたほうがおいしくて健康だよ、っていうことをなんとかわかってもらうには……やっぱりおいしいものを食べてもらうしかないかもしれない。

 ところで、楽しみにして食べたセンジンだったのだけど……正直カブイモとそれほど大きく異なる食べものではなかった。

「クーシェルさん、これ……」
「センジンとハムの煮込みだが、どうかしたのか?」
「……カブイモとハムの煮込みとあんまり変わらないですよね」
「……」
「いえ、クーシェルさんの料理はおいしいと思います……ただ……味に変化が……」
「まあ、冬だからなあ……俺は特に不満には思っちゃないんだが」
「わたしは、カブイモよりセンジンのほうが好きね」
「俺はどうにも……センジンは薬草っぽさがあってな。カブイモのほうが好きだ」

 確かにカブイモとセンジンとでは、風味はけっこう違う。
 カブイモはいかにも根菜という土くささがあるけれど、センジンはもう少し豊かな風味がある。香気が強く、爽やかな感じがする。
 悪く言えばクーシェルの言うように薬草っぽい香りなんだけど、これがいいという人もいる。パクチーやセロリの好き嫌いが分かれるのと似てるかもしれない。

 あと、甘味もカブイモに比べるとやや強い。それからほのかに苦味がある。カブイモは淡白な野菜だけど、センジンはそれよりはいくらか味が濃い。

むと甘みがあって、後からほろ苦くて、大人の味よね」

 なんてナーサラが言う。
 これもわかる。

 それに、カブイモとは食感も異なる。よく火を通したカブイモはホクホクとトロトロの中間だけど、センジンはカブイモよりもトロトロ寄りになる。煮込む前は、カブイモよりもセンジンのほうが硬い。

 確かに違いはあるのだ。

「うーん、確かに、そうなんですけど……」

 ただ、なんというか……根菜はやっぱり根菜だなという感じなのだ。これがジャガイモとニンジンくらい違えばいいんだけど、カブイモはジャガイモよりのカブ、センジンはジャガイモよりのニンジンという感じで、全体的にイモ感が強い。

 たとえばなんだけど、これがダイコンとカブ、あるいはサトイモとナガイモの組み合わせで、「バラエティ豊か! やったー!」とは、ならないよね……という……。

 センジン、ひょっとすると飴煮にするとおいしいのだと思うけど、砂糖が手に入らない。手に入らないというのは、貴重だからとか高価だからとかではなくて、砂糖作物自体が発見されてないのだと思う。植物事典にはサトウキビもサトウヤシもテンサイもサトウカエデもなかったし、同等の作物もなかった。
 じゃあ何を甘味料にしているのかというと、主に蜂蜜で、これがびっくりするほど高い。多少酸っぱくても果物が一番手に入りやすい甘味なのだった。

 うーん、なんかの樹液とかで甘いやつあるんじゃないのかなあ、と思ったけれど、この世界の森は危険度が高くて、森で採れるもの全般が基本的に貴重なのを忘れていた。キノコもそうだし木の実やベリーもそうだった。

 足りないのは甘味だけじゃない。
 塩さえ、手に入りにくい。
 男爵領にかぎらず、この国では塩は貴重だ。塩は主に岩塩を使う。イスランドは海に面していないし、一番近い海が極寒の北の海。あまりに遠い。
 岩塩に頼る以上、無駄遣いできない。
 ほとんどがソーセージやハムづくりに使われ、単に調味料として使うこということはまずない。
 塩は、保存料であり、薬品なのだ。
 とても高価で、普段使いするものではないのだと。

 それから、香辛料も。
 植物事典にはコショウやトウガラシのようなものは載っていなかった。この世界にはコムギがないくらいだし、コショウやトウガラシがなくても不思議はない。
 香辛料らしきものの名前は見たので、この世界に香辛料がないってことはないと思うけれど、〈ぼく〉の記憶にはほとんどない。この地方では珍しいものなんだと思う。

 そんなわけで、甘味も塩も香辛料も手に入らない。
 調理の幅を広げるには、調味料が足りていないのだ。

 やっぱり食材だ。食材の幅が広がれば、味の幅が広がる。
 栄養バランスも今よりずっとよくなる。
 心の栄養も満たされる。
 調理場を使うことはできるようになった。使用人の食事の手伝いもすることになった。作る場はあるのだ。
 食材があれば、なんとかなる。

 そうだ。
 こうなったらもう自分で食材を揃えるしかない。

 材料は……なければくればいいじゃない。

 ぼくは牧畜の民だぞ!

 そういうわけで、ぼくは森へと向かうことにした。

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