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Slow tide

『潮、被弾!』
 船体に大きな衝撃を感じたその直後、わたしの周囲に何本もの水柱が立ち上るのが見えました。海面が波打ち、わたしの体を揺さぶります。転覆しないように必死にバランスを取っていると、通信士さんが声を張り上げるのが聞こえて、そのときはじめて自分が砲撃を受けたことに気付きました。
『被害状況は』
『多少の損傷あり、中破と判断』
 背中の煙突が半分ほど吹き飛んでいました。
『潮は下がって。他の艦は援護を!』
「はっ、はい!」
 わたしは戦列から離れようとしますが、思うように体が動きません。それもそのはず、わたしは主機の一部を損壊していて、充分な速度が出せなくなっていたのです。
 のろのろと戦列を反れるわたしを見逃す敵艦隊では、けっしてないはずでした。
 砲撃が止んで、次にやってくるのは敵航空戦力による爆撃です。
 対空機銃を構えて艦爆隊の攻撃に備えるわたしに、けれどもやってきたのは爆撃ではありませんでした。
『翔鶴艦爆隊より、敵航空母艦を撃破したとの報告!』
『敵艦隊、退いていきます! 追いますか? 今なら夜戦で仕留められることと存じます』
『いや、いい。またいつでも来られるさ』
『了解しました』
『全艦、転進! これよりわが艦隊は本海域より離脱する!』
 わたしは、生き延びることができたのです。
 作戦の失敗と引き換えに。


 艤装を外すと、わたしはに入ります。曇りガラスの向こうで、わたしの壊れた艤装を修理するべく、整備の皆さんが忙しそうに駆け回っています。
 その間、わたしは湯槽に身を沈めて、休息を取るのでした。
 ゆっくりと息を吐き出してみても、それで鉛が溜まったような胸が軽くなったりはしません。
「はあ……またわたしが中破したせいで途中で撤退することになっちゃいました」
 どうしてわたしはすぐに壊れてしまうんでしょうか。もちろん、わたしは駆逐艦だから、装甲はけっして丈夫ではありません。
 でも、他の駆逐艦の皆さんは、ちゃんと艦隊の中で役目を果たしているような気がします。
 島風ちゃんは、敵の意識を充分引きつけながら、降り注ぐ砲撃をたくみにかわします。砲撃をかいくぐれば、彼我の距離が迫っての雷撃戦。わたしたち駆逐艦の時間です。連合艦隊一の俊足艦と称されていますが、それがけっしてカタログスペックだけによるものではないことを、わたしたちはよく知っています。島風ちゃんは、駆逐艦らしく、駆逐艦として信頼できるはたらきを見せているのです。
 駆逐艦らしからぬはたらきといえば、夕立ちゃんや綾波ちゃんがいます。夜戦で雷撃をいくつも敵巡洋艦に命中させて大戦果をあげた夕立ちゃんもすごいですが、そこまでではなくても、綾波ちゃんもすごいとわたしは思っています。
 綾波ちゃんは、わたしと同じ特Ⅱ型駆逐艦です。わたしと同型艦だけれども、先の作戦では駆逐艦を一隻撃沈、二隻大破の大活躍。もちろん綾波ちゃんも相手の砲撃にさらされたのだからぜんぜん無事ではなくって、大破して自力で航行不能になって、他の艦に曳航されながらの帰還でしたけど、作戦目標は果たされていましたし、綾波ちゃんも、誇らしげな顔をしていたのを覚えています。
 わたしも、ここに帰ってくるときに、あんなふうな表情でいたい。
 けれど。
「どうやったら艦隊のお役に立てるんでしょうか」
 ううん、違う。
「……どうやったら艦隊に迷惑をかけないで済むんでしょうか……」
 わたしは、きっと足手まといになっています。
 顔を半分湯槽に沈めてぶくぶくと息を吐き出してみたけれども、どうすればいいのか、やっぱりわかりません。
 わたしと他の駆逐艦の皆と、何が違うんでしょう……?
 ぎゅっと膝を抱えようとしたら、胸元がやわらかく押しつぶされて、そのとき気付きました。
 もしかして……?
 ううん、どうだろう。でも、そうだ。あとで漣ちゃんに聞いてみよう。


 から上がると、わたしは漣ちゃんのもとへ向かいます。
「ねえ漣ちゃん」
「あら、潮じゃない。どうかした?」
「ちょっと相談があって……」
 漣ちゃんは、ときどきちょっと変な言葉遣いのことがあるけれど、頼れるお姉ちゃんです。
「ふうん、艦隊の役に立ちたいのね」
「うん。どうしたらいいのかな。わたし、もしかしたら足手まといになんじゃ、って思ったら、何かできることないかなって」
「それ、曙がいるところで言っちゃだめよ」
「曙ちゃん?」
「そ。いつだったか、護衛をあんたと交代したじゃない。あれで護衛対象を炎上させちゃって、こっぴどく絞られてたわよ。あれ、曙のせいじゃないと思うけどなー。ブラック海軍ワロリンゴだよね」
「割ろうりんご?」
 ううん、それより、護衛を交代……たしか、いまの提督の部隊に配属されるよりも、ずっと前のことです。ある作戦で、わたしと曙ちゃんは五航戦の随伴艦を任されました。わたしは最初翔鶴さんの護衛を担当していたのですが、途中から曙ちゃんと担当を交換、瑞鶴さんの護衛に回りました。わたしが護衛した瑞鶴さんは、一度の被弾もなく無事でしたが、一方で翔鶴さんは甲板をひどく損傷して、海域から離脱したのでした。わたしが追いかけても追いつけないくらいの速さで。それは、よく覚えています。あのときも、わたしちゃんと役に立てなかったなあ……でも、あのとき、曙ちゃんが咎められた?
 わたしの思考は、漣ちゃんの言葉で中断させられます。
「でも、曙を見習うっていうのは、いいかもね」
「どうして?」
「だって鼠輸送とかありえないでしょjk」
「じぇーけー……?」
「女子校生的に考えて、ってことじゃない? ほら、セーラー服だし」
「そっかあ」
「近代化改装だって済んでるしさ、物運ぶってレベルじゃねーぞ!って、わたしなら放り投げる」
 鼠輸送は、本来なら輸送船団が担当する補給物資の輸送を、わたしたち駆逐艦が代わりに行う任務です。輸送船は、たくさんの荷物を運べるけれど、足があまり速くないので、深海棲艦の攻撃にさらされるともろいです。そこで、快速の駆逐艦が代わりに物資輸送に従事することになったのですが……駆逐艦で運ぶことができる物量というのは、限界があります。だって、わたしたちは艦と戦うために作られたのだから。
 本来の目的とは、違っています。
「曙ちゃん、すごいね」
「まあ、口は悪いけどね。いつも文句ばっかりだし」
「でも、文句は言うけど、提督さんのためにがんばってるんだもの。そうだよね。わたしも頑張らなきゃ」
「聞きたいことって、それだけ?」
「あ、そうだった。ねえ、漣ちゃん。駆逐艦って、敵艦の砲撃を引き受けて、それを避けるのが仕事だと思うの」
「そうね」
「でも、わたしいつも砲撃戦の途中で被弾しちゃって。なんでかなって思ったんだけど」
「うんうん」
「わたし、もしかしておっぱいが邪魔なのかな、って」
「うはwwwwwwww煽りwwwwwwwwwキタコレwwwwwwwwww」
「漣ちゃん!?」
 漣ちゃんがなんだか変なこと言い出しちゃいました! 変なこと言ってるのはいつもですけど!
「どうせ、わたしは、小並艦……特盛艦の潮には、わからないんじゃよ……」
「漣ちゃんしっかりして!」
「潮……あんた、駆逐艦スレ半年ROMるか、さもなくば死ね、氏ねじゃなくて死ね……」
 そういって漣ちゃんは床の上にばたりと倒れこみ、そのまま気を失ってしまいました。
「漣ちゃん!? 漣ちゃん、しっかりして!?」


 漣ちゃんは医務室に運ばれてことなきを得ました。それにしてもいったいどうしちゃったんでしょう。
 なんだか、おっぱいの話をしてから漣ちゃんがおかしくなったような気がします。
 それがどうしてだかはわたしにはわからないけれど、ひとつはっきりしているのは、たぶんわたしは曙ちゃんみたいにはできないだろうな、ということです。
 鼠輸送も、大事な任務です。その任務に一度配置されたなら、それを全うするために力を尽くします。それは、どんな任務でもいっしょです。
 けれど、わたしはもっと艦隊のみんなのために、提督さんのために、何かしたい。きっとそう思っちゃうから、遠征任務だけじゃ、たぶん足りないって感じると思う。
 曙ちゃんが、いまの任務で満足しているだなんて言うつもりはないです。ううん、たぶん曙ちゃんも、不満はあるんだと思います。それでも、与えられた任務を中途半端にはしない。それはすごいことだって思う。
 でも、わたしは、たぶんそこまで上手に切り替えられないから……。
 考え込んでいると、声をかけられました。
「潮ちゃん。お疲れ様なのです」
「潮、お疲れ様!」
 電ちゃんと、雷ちゃんです。わたしや漣ちゃんと同じ吹雪型ですが、わたしたちよりもちょっと後で建造された特Ⅲ型で、煙突がスリムになっています。
「そういえば、わたしの煙突、ダクトが吹雪ちゃんといっしょなんですよね」
「潮、むかしは御椀型だったものね」
 綾波ちゃんはちゃんと御椀型なのに、どうしてなんでしょう。今度提督に聞いてみようかな。
「考えごとしていたみたいですけど、そのことだったのです?」
「考えてたのは、別のことなんだけど……そうだ。雷ちゃん、電ちゃん、ちょっと相談に乗ってくれますか?」
 わたしは、二人に話を聞いてみることにしました。
 どうやったらもっと艦隊の役に立てるのか。
「潮ちゃんは、よく頑張ってると思うのです」
「そうそう、潮はえらいと思うわ!」
「そう、かな」
 やっぱり、わたしには自信がありません。
「ほら、スラバヤ沖でさ、沈没する敵艦から乗員を救助したじゃない」
 確かに、わたしはいつだったか、いまの姿になるよりもずっとずっと前、自分で撃沈した敵潜水艦の乗員を救助したことがあります。
 ですが。
「あのときは夢中で……あ、でも、スラバヤ沖の話をするなら、ふたりだってそうですよね」
 そう。雷ちゃんも、 電ちゃんも、同じように救助活動を行いました。
「私たちも夢中だったから……とにかく助けなきゃ、って」
「そうそう。すっごいたくさんひとがいたから、大変だったけどね」
 電ちゃんは重巡洋艦乗員四百名弱を、雷ちゃんは駆逐艦乗員ほか四百名強を救助したのだと聞いています。ふたりとも、搭乗員数はせいぜい二百人くらいなのに、自分たちの倍もの人数の乗員を救助して、保護したのです。
 交戦中に艦を止めるということは、的になって撃たれる覚悟をするということです。それだけの危険を冒してでも、ふたりは敵艦隊の乗員でさえも、助けたかったんだろうと思います。
 もちろん、わたしも。
 雷ちゃんは、当時のことを思い出しているのか、少し誇らしげに笑って、電ちゃんもまた、恥ずかしそうに、けれどもやっぱり誇らしそうにはにかんで、言うのです。
「皆さん無事でよかったのです」
「ホント、助けられてよかったよね」
「はい」
 それはわたしも同じ気持ちです。
「それなら、潮、ちゃんと胸を張ってなさいよね。潮はそれだけのことをしたんだから、誇りに思って言いの。それに、せっかくそんなにおっきいおっぱいしてるんだから」
「はわっ!? お、おっぱいの話はやめてよお、恥ずかしいよ……」
「そういえばさっき漣ちゃんが、医務室でなにか言ってました」
「ふうん、なんて言ってたの?」
「う……潮のおっぱい、牛おっぱい……とかって」
 牛おっぱい……!?
「はうう……やっぱり、わたしのおっぱい、変なのかな……?」
「そ、そんなことないです! 電も、きっと愛宕さんみたいにないすばでいになるのです!」
「そうよ! 私だっていつかは……雷の本気を見るのです!」
「あっ、雷ちゃん、私の真似しないでください!」
「いいじゃない、漣も真似してたわよ」
「ほ、ほんとですか?」
「嘘じゃないわよ。ね、潮」
「は、はい。ときどき漣の本気を見るのです、って」
 あれが電ちゃんの真似かどうかは、わたしにはちょっと分からないのですが、言われてみれば、電ちゃんっぽい感じはします。
「うう、私の真似なんてしても面白くないと思うのです……」
「ええー面白いわよ。少なくとも私はね。そうだ! 潮もやってみなさいよ!」
「えっ、わたしが電ちゃんの真似、ですか? えっと、ええっと」
「はやくはやくー!」
「う、潮の本気を見るのです!」
 ……。
 ……は、恥ずかしい……。
 雷ちゃんと電ちゃんは、わたしの胸元をじっと見つめたままです。
 やっぱりわたしが電ちゃんの真似なんておかしかったんだ、と思いましたが、そういうわけではありませんでした。
「いま、ゆさって動いたわよね? ゆさって」
「確かに動いたのです……これが潮ちゃんの本気……」
「も、もう、ふたりとも、恥ずかしいよお……」
 おかしかったのはわたしのおっぱいでした。
「まあ、そんなに気にすることないわよ。夕立も最近おっきくなったみたいだし」
「白露型の皆さんは、ないすばでいなのです」
「うらやましいものはうらやましいんだけどね。どうしたらそんなに大きくなるのかしら? 電なんて、牛乳飲んでるのにぜんぜん変わらないわよ」
「わっ、雷ちゃん、それは内緒なのです!」
「ふっ、ふふ……雷ちゃんと電ちゃんは、いつも仲良しですね」
「そうよ! 自慢の姉妹だもの」
「ね、潮ちゃん、元気出ました?」
「え? あ……」
「そうよ、元気出しなさいよ! 相談なんて、私がいつだって乗ってあげるんだから」
「雷ちゃん……ふたりとも、ありがとうございます。わたしに元気を出させようとしてくれていたんですね。うれしいです」
「まっ、そんなに気にすることないわ」
「です。困ったときはお互い様なのです」
 そうだ。もしかして。
「ひょっとして、漣ちゃんがいつも変わったことを言ってるのも、わたしを元気付けようとしてくれてるのかな?」
「それはないわ」「それはないと思うのです」

 雷ちゃんと電ちゃんは、これから遠征の仕度をしなくちゃいけないからって、補給ドックに向かいました。
 でも。
 ふたりはああ言ってくれましたが、けれどもわたしは、まだどこかを抱えていました。
 どこまでいっても、わたしはこのままでいいんだろうか、ううん、このままではいけない、このままではきっとだめなんだ、そんな考えを拭い去ることはできません。
 ぼんやりと考えているうちに、わたしに召集がかかりました。
 。演習の時間です。
 もやもやした気持ちを抱えながら、わたしは演習海域に向かいます。

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