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朱襦文楽草子

第二幕『人形遣いの人形知らず』 STAGE-2 / Armchair Artificer

 それから弾幕を交わしたかしれないけれど、そうしながらも私は彼女との距離を、次第に、そして確実に縮めていった。
 勝ったときもあったし、負けたときもあったし、決着がつかないこともあったし、ただ言えることは、勝敗なんて初めからどうでもよかったのだということ。
 そして、初めこそ敵意を剥き出しにしていた彼女だったけれど、しばらくそうこうするうちに私に興味を持ったのか──あるいは、いつだったか立ち会わせた月のによるところも大きいのかもしれないのだけれど──ともかく、今ではもう弾幕を巡らすこともない。
 ただ。
 おそらく、きっかけになったのはあの日。
 彼女と初めて会話らしい会話を交わしたときだったと思う。

 いつだったかのことだ。
『また来たの?』
 いつものように鈴蘭畑にやって来た私に、彼女もまたいつものように訝しげな表情を露わに問う。問うというよりは言外に来ても無駄だから早く帰れば、というニュアンスを漂わせた勧告だったかもしれない。
『何度でも来るわよ』
 私はめげずに何度も繰り返した。何度も追い返された。それでも私は来た。そしてこの日私は何とか糸口を掴んだ。
『何で? どうして何度も来るのかしら?』
『何でって、それは……話がしたいからに決まってるじゃない』
『話?』
『そう、話』
 好機だった。
 今までは彼女が私に何らかの疑問を投げかけることはなかった。間接的にはあったろうけれど、今までは答える機会を与えられぬまま、なし崩しに弾幕勝負をする羽目になるか、あるいは追い払われるか、だった。
『話すことなんて特にないのだけれど』
『あら。私にはあるけどね。普段何してるのかしら、とか』
 繋がった。会話が続いた。喜ぶべき一歩だ。内心の浮かれを悟られないように、努めて冷静を装った。余裕のあるところを見せ、この状態を長く続けようと思った。
 が。
『普段……普段はこうやってスーさんとお話したり、捨てられた人形とお話したりしてるわ、ってどうしてあなたにこんなこと話さなきゃいけないのかしら。まぁ、いいけれど』
 まるで冷や水を浴びせられたような心地だった。
 浮かれていた私は、その言葉で瞬時に心が冷えた。次に発せられた言葉の冷たさは今でも覚えている。発した自身でさえ驚くほどだったから。
『捨てられた人形?』
『そ、そうよ。この子たちが私みたいに動けるようなったら、私たちを捨てた人間を酷い目に合わせてやるんだから』
 そんな私に驚いたのか。ほんの少し怯えの色が見えて、それで我に返った。
 恐怖を植え付けてどうするのだ、私は。
 人形が人形遣いと仲良くするにはどうすればいいか。どれだけ人形と接してきたのだ。それが分からなくなるほど感覚が麻痺してしまっていたのか。
 我ながら情けなく思う。
 気を取り直し、穏やかな口調で、それでいて厳しさも含ませ、忠告する。
『……危ないわよ。人間が捨てたものには負の魂が宿りやすいから』
 そんな物言いが気に入らなかったんだろう。当たり前のように彼女は反発した。
『関係ないでしょ、放っておいてよ』
 でも、それでいい。
 先ほどより強く、そして厳しさを増した声で。私は制するように言い放つ。
『関係なくはないわ。人形が危険な目に遭うと知って黙っていられる?』
『っ……』
 刹那、彼女はえる。戸惑うような表情。そこにはもう今までほど不信感や嫌悪感は見られない。
 今度は一転して穏やかに、なだめるように、すように言う。
『そんなことできる筈がないわ。人形遣いとして、ね』

 紅茶を一口。口の中に香りが広がっていく。今日のお茶の出来はなかなか悪くない。

 やがて、私が鈴蘭畑を訪れても彼女に不信がられたり疎ましがられることはなくなった。
 敵ではない、と認めてもらえたのかもしれない。
『あの、あのね。その……この人形、あなたが作ったの?』
 あるとき私はそんなことを尋ねられた。以前から興味を持っていたのだろう。おずおず、といったような、ぎこちない仕草がとても可愛いらしかった。変な意味じゃなく。
『今連れてるのはそうね、私が作ったものよ』
 悪戯心が生まれそうになるのを抑えて、素直に答える。それで彼女も安心したのだろう。今度は気後れすることなく聞いてきた。
『今連れてる、って?』
『家には他に人形があるから。作ったものじゃなくって、集めたものとかね』
 そのとき連れていたのはいつもどおり上海人形だったかしら。蓬莱人形も連れて来ていたかもしれない。人形、西人形、西人形に人形。家にはこの他にもたくさんに人形がある。ちょっと曰くつきの危ないものもあるけれど。
 いくつか家にある人形の話を聞かせてあげた。とても興味深そうに聞いてくれていた。
 最後にこんなことを聞かれた。
『人形、好き?』
 自然に微笑みが零れた、と思う。
 何と答えたかなんてそんなの決まっている。
『ええ。もちろん、好きよ』

 それでもまだまだ打ち解けたとは言い難い。それ以来特に親密になれたという訳でもないから。積極的に好意を抱かれるまでにはまだ至らないと思う。
 敵意は全く薄れてしまった。でも、それだけ。もう一つ何かが足りない。何らかのきっかけが必要だとは思うのだけれど……。
 ふぅ……。
 を置き、一息。深く息を吐きながら、椅子の背に身を沈める。
 どうしたらもっと仲良くなれるのだろう? どうやったらもっと近付けるのだろう?
 もう後一歩、それも手を伸ばすだけのところにいるとは思うのだけど。
 紅茶をもう一口。さっきよりも少しだけ冷めてしまったそれを口に含むと、たちまち広がるのは強い渋味。
 冷めて渋味を増すのはお茶だけではなく、おそらくはあらゆるものがそうなのだろう。
 例えばそれは自らの趣味趣向かもしれないし、目標や信条かもしれない。そして、強く打ち込んだものや深くのめり込んだものほど、冷めたときに気付くものは多く、そして大きい。後に遺る渋味もまた然り。
 考えても始まらない、か。結局は自分の足で動いてどうにかしなければいけない。
 あるいは、考えすぎるのがいけないのかもしれない。こんなことを思うのは停滞が長く続いたからだろう。でもこれは、私の悪い癖だ。直すべき悪癖と自覚している……。
 いけないいけない。これ以上考えるのはよそう。
 まずは行動、ね。こういうところは魔理沙を見習わないと。
 それにしても、昔の私が見たらどう思うかしらね。


 そうして私は人形たちを引き連れてもう幾度目になるとも分からぬ鈴蘭畑に足を踏み入れる。以前はまだ青さの残る実も見受けられたが、今はもう皆見事に熟れて朱に染まっている。朱い朱い鈴蘭の実が野一面に広がっている。
「今日も来たのね」
 声に気付いて、視線をぐるり旋回。視界の端へと過ぎ去りそうになったその人影を、再度視界の中央に据える。
 声色は軽く明るく、言葉そのものの響きにあるべき疎ましさは特に感じられない。
 ……と思うのは、私の思い込みじゃ、ないよね。
「こんにちは、メディ」
 気を取り直して挨拶する。自然に笑えただろうか。
 そんな不安を余所に、メディは微笑み返して答える。
「こんにちは、アリス」
 それでふとしくなった。何を心配していたのだろうか、と。
 以前のように対面即弾幕や門前払いということは今ではもうなくなった。敵意を剥き出しにされることもない。それどころか微笑み混じりに挨拶を交わすことさえできる。それが愛想笑いや社交辞令の類いだったにせよ、それでさえ充分進展しているではないか。
 焦っていたのかもしれない。いくら焦っても時間はいつも等しく流れるだけだというのに。この鈴蘭の実が急に熟したりするはずなんてないのに。
 ほんの少し感傷を籠めて朱く染まった鈴蘭の野を眺め見る。
「真っ赤に熟れたわね」
「え?」
 きょとん、と小首を傾げる。その仕草に、私は不覚にも……。
「ああ、スーさんね。今年はスーさん、たくさん咲いたから。それで実もたくさんなったのかも……って、どうしたの?」
「な、何でもないわ」
 思わず屈み込んだ私の顔を下から覗き込もうとする。
 言わば追い討ちだ。今の私にそれは逆効果よ!
「顔が紅いけれど、大丈夫?」
 不思議そうな表情でじっとこちらを見てくる。私は必死に目を逸らす。
「大丈夫、だいじょう、ぶ……」
 横目でちらりと覗うと、やはり不思議そうな顔をしていたけれど、それ以上私を問うのは止め、手持ち無沙汰になったように取り留めなく辺りを見回し始めた。
 危うく卒倒するところだった。
 以前、いつだったか鑑賞目的の為だけに人形を作ったことがあるけれど……これはそれを遥かにしている。本物というのは多分こういうもののことを言うんだろう。
 あの仕草……。脳裏にしっかり焼き付けた。いつか再現してみよう。ふふ、ふふふ……。

 ……はっ。

 いけないいけない。
 こんなことをしに来たのではない。
「ねぇ、メディ──」
 呼び掛けようとして、止めた。
 視線の先。
 鈴蘭の中、私が連れてきた人形たちと楽しそうに話すメディ。
 会話が成立しているのかは分からない。一応一通りの受け答えができる程度の魔法は施せるようになったし、実際、よほど疲れていない限りはそうしている。もちろん今日も。
 それにしても本当に楽しそう。
 そうか──。
 笑顔のメディを見て、ほんの少し心が痛んだ。私は何となく悟ったような心地がして、自嘲気味に、静かに笑った。
 私は何もしないで、何もできないで、ただじっと彼女と人形たちを見ていた。


 部屋の扉が開く。遣いに出していた人形だ。その身に手紙を抱えるようにして部屋に入って来る。
「ご苦労様」
 手紙を受け取り、いの言葉を掛け、頭の上にそっと手を重ねる。
 ……いや、そういうふうに魔法を掛けたのは私だし、精神力を使ったのも実際に疲れたのも私自身に他ならないのだからご苦労様も何もないのだけれど。
 これは、私にとっては最低限守らなければならぬもの。人形への敬意を忘れないということ。そして、人形たちをただの道具だと思わない為の自戒でもある。
 もちろん義務感からそうしているのではない。人形を大切に思っているし、思いたいからこそそうするのだ。
 さて、受け取った手紙を封切る。
 少しだけ緊張する。いや、相当緊張しているのかもしれない。
 中に入っているのは手紙の返事。出したのは招待状だ。この間鈴蘭畑に行ったのは本当は家に彼女を招く為だった。だったのだけれど、私はあのときただ見ているだけで、その後も何も言い出せないまま(あるいはそれを忘れてさえいたのかもしれない──単に忘れてしまっていたことにしておきたいだけなのかもしれない)、そして結局、何もしないでのこのこ帰って来てしまったのだ。
 後から気付いて、人形に届けて貰ったのだけど……返事が貰えるか、貰えたとして良い返事が聞けるかどうか不安だった。不安だったのだけれど。
 そっと開き、広げる。

『招待してくれてありがとう! ぜひ行きます。
                メディスン』

 ──良かった。
 不安だった。でも、良かった。
 まだ慣れた間柄からは程遠い。それでもこうして快く受け入れてくれるまでにはなった。これはその証明に他ならない。
 私は深く安堵した。今ではもう初めて会った頃のことが酷く懐かしく感じられるほど。実際にはさして時間は経っていないのだけど。
「ふふ」
 もう一度手紙に目を通していると、口元が自然に緩むのが分かった。
 いけないいけない。
 でも抑えようと思っても無理なのだ。だってこんなにも嬉しいのだから。
「お茶の葉っぱを用意しておかなきゃね。ふふ、今から楽しみだわ」
 軽い足取りで棚へと歩き出す。よく言うけれど本当に軽いものだったのね、などと些末な思いが取り留めもなく。ええと、そうね。ちょうど、徒然と。あるいは、消えては生まれ、生まれては消え。
 ……もう一回だけいいかな。
 誰に言うでもなく。いるとすれば、冷静に今の私を見て失笑するであろう、客観視点の私自身に。ううん、もう一回くらい、いいよね。
 緩みっぱなしの頬を、もう引き締めようともせずに。胸を撫で下ろすように。そっと、そっと、漏らすように呟く。

 ああ、良かった。


 ……緊張してきた。
 いざこうして家に迎えるとなると、準備は万全にしたはずなのに、どうにも落ち着かないというか、何か足りないのではないか、何か忘れているのではないか、などとどうしようもない不安に駆られる。
 の裾が弱く引っ張られるのを感じ、見遣れば、上海人形がその小さな手で裾布をそっと掴んで、げな視線を送っている。
 人形たちに私の不安がったか、見れば部屋の入り口の陰にも何体か人形の姿がある。やれやれ、私が不安でいてどうするのだ、全くしっかりしなければ。
 と思った矢先だった。
 瞬間、身体が飛び跳ねそうになった。
 何が起こったかと言えば、音がした。部屋の外。というよりもはや家の外だろう。そこから耳に届いたのは響く音。扉を打つ音に似ている。というか、そのものだ。ドアをノックする音。つまり、来たのだ。
 どどど、どうしよう。
 準備しなくちゃ。いや準備はもう済ませたのだ。では次は何をするべきか。いやもう何もすることはない。では何もしないでいよう。ってそれじゃ駄目だ。家の中に上げなくては。というか落ち着きなさい、本当にみっともないったらありゃしないわ。
 とりあえずは、深呼吸。少し落ち着く。落ち着いたと思えば落ち着くものだ。私は足元の上海人形を向き、頷く。
「お客様よ、出迎えて」
 頷き返して出て行く上海人形に続き、入り口で中を伺っていたであろう人形たちも玄関へと向かう。少し焦ったふうな人形たちに私は僅かに苦笑しながら、その後に続いた。
 扉がゆっくりと開く。緋色の小袖の、小柄な少女……のかたちをした人形。
「こ、こんにちは」
 どうやら緊張していたのは私や人形たちだけではなかったようだ。彼女も不安だったのだろう。所在なげな視線を宙に漂わせてながら、おどおどする様子が微笑ましく、可愛らしいなと思った。全く、自分のことは棚に上げておいて調子がいいにも程がある。
「……くす。いらっしゃい、メディ」
 でもまあ、そのお陰で緊張は解けたのだけど。
 さて、ここでただぼうっとしていても何も始まらない。せっかくこうして来てくれたのだ。自分のことをどうこうするよりも、まずはメディのことを考えよう。ちゃんともてなしてあげなくちゃね。
「ようこそ、私の家へ。外、寒かったでしょう? 今紅茶れてあげるからね。さ、早く入って入って」


 客間に迎え入れ、私はとっておきの茶葉を使って紅茶の準備。には沸騰したての熱湯。おいしい紅茶の為には、予め温めておくことが肝心要。幻想郷の水は軟らかい。お茶によく適していると思う。でお湯を沸かし、ぐらぐらと煮え立ってきたところで、紅茶壺のお湯を棄て、葉を入れ、素早く沸きたての熱湯を注ぐ。これで後は数分蒸らして、注ぎ用の紅茶壺に移せば完成。
 茶葉からおいしい成分が溶け出す間にお茶菓子でも用意しようかしら。
 はてさて。何を用意しようか。このお茶の場合、単に甘いものよりは甘さを控えたさっぱりしたものが合うかしら。などはいいかもしれない。独特の辛味が合いそう。いやいや、類のやかな風味も合いそうね。ううん、迷う。
 それで結局、果実入りのにした。、いろいろ用意できるから。
 それにしてもこの冷蔵庫という道具は便利だ。香霖堂で買った(というよりは交換してもらった)のだけど、常温で置いておくと腐ってしまうような食べ物を低温の状態に保ち、ある程度の保存期間を延ばすことができるという。初めは半信半疑だったものの、確かに内部には冷気が籠もっていて、ひんやりとしている。
 どういう仕組みかは分からないのだけど、電気を動力源にしているそうだ。本来熱を生む筈の電気でどうやって冷やしているのか気にならないでもないけれど、よくよく考えてみれば熱を生むことは熱を奪うことと等価だった。だけどそれなら初めから魔法で熱を奪って冷やせばいいのに、と思う。
 ……と、思うのだけど、こちらで温度の調節をしなくとも、電気を供給しさえすれば後は勝手に適温に保つこの道具は確かに便利だった。私はもう頼りきりになってしまった冷蔵庫から作りおきのを取り出して、適当な大きさに切り分け、皿に乗せる。
 ちょうどその頃合いで紅茶の方もいい時間だった。出来上がり、と。
 ふわ、と甘い香りが漂う。加えて、爽やかな果実の香り。茶葉自体にの香りをつけてあるのだ。香霖堂の店主に『幻想郷らしい味のお茶ですよ』と言われ、譲ってもらったのだけれど、甘く爽やかな香りとすっきりした後味が優しい感じで飲みやすい。どんなお菓子にも比較的よく合う。
 そういえば紅茶葉の他に緑茶葉も混じっているのだとか。なるほど確かに幻想郷らしいとは言いえて妙だなと思う。
 ここは東の果て。その東の果てに、西からのものがやってきた。そうして東と西は混じり合い、その混じり合う過程のちょうど途中で、日常から切り離されたのだという。
 このお茶はそんなお茶なのだ。緑と紅、東と西、日常と非日常が、甘い甘い幻想によって混じり合ったお茶。
 さて、喜んでもらえるかしら。ううん、きっと喜んでもらえる。
 そう信じ、私は客間へと、甘く爽やかな香りを放つお茶とお菓子を持って向かう。
 ……喜んでもらえる、わよね。

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