〈わたし〉がこの世界で目覚めて以来、数えられないくらいカブイモを食べてきたけれど、結局カブイモがなんなのかはよくわかっていない。
以前、植物事典で調べたことがある。そこに描かれた挿絵を見るに、地上部はアブラナのようだった。食感はカブとイモの中間。見た目はアブラナ。とすれば、アブラナの仲間なのかもしれない。アブラナは存在するのかな、と思ってみると、植物事典の中にカラシナというのを見つけた。それが〈わたし〉が知るカラシナと同じかどうかはわからないけれど、見た目はアブラナに似ている。
それで思いついて、あるとき、すりおろしたカブイモの生のまま食べてみた。
ほんの少しだけれど、ピリっとした辛みが感じられた。〈わたし〉の記憶にある食べ物の中で一番近いのは……クレソン、かな。
アブラナ科の野菜はカラシ油配糖体という物質を持つ。植物体が損傷すると、カラシ油を生じる。このカラシ油に含まれるのがアリルイソチオシアネートという辛味成分。生のダイコンにはピリッとした辛さがあるけれど、これに由来する。マスタード、ワサビ、ホースラディッシュ、それからクレソンの辛みもそう。みんなアブラナ科の仲間だ。
つまり、カブイモがアブラナのような見た目とクレソンのような辛みを持つのなら、カブのアブラナ科の仲間なんじゃないだろうか。
カブイモはイモのような食感を持つカブである、と推測する。
ちなみにカブイモの種からマスタードオイルが作れないかと思って絞ってみたけれど、ぜんぜん辛くはなかった。まあ根茎にもそれほどの辛味はなかったので、そんな気はしていたのだけど。
カブの仲間だとすれば。
ある種の消化酵素を持っていたりはしないだろうか?
そう。β-アミラーゼだ。
カブやダイコンには、β-アミラーゼが含まれる。カブイモがカブの仲間なら、カブのように β-アミラーゼを持っているかもしれない。
「ねえ、トーマ。これくらいでいいのかしら?」
リリーがぼくに声をかける。
鍋を覗き込むと、つややかな黄色が広がっていた。
へらですくうと、ねっとりと伸びる。まだ緩さがあるけれど、これで大丈夫。
冷えると固まるので、緩さを残しておく必要がある。
「ばっちり」
はたして、水あめは完成した。
出来上がった水あめは、日本の伝統的なそれとは違って、うす黄緑色をしている。麦芽水あめには麦芽由来の色、カブイモ水あめにはカブイモ由来の色がある。
陶器の瓶に詰め、このまま冷めるまで置いておく。
その間に夕食を取る。リサンバー家の皆さんに食事をお出しした後、煮込みとバニッジの切れ端でまかないを頂く。
そんないつもどおりの夕食の後、いよいよ水あめの試食となった。
といっても、ぼくはもう食べたことがあるから、味は知っている。
「リリーお嬢様から先にお召し上がりください」
なんて、かしこまった言い方で木の匙をリリーに差し出すと、彼女は大仰に頷きながら匙を手に取る。それから、二人して顔を見合わせて、笑った。
そんな様子を見てクーシェルが咳払いをひとつ。
「恐れながらお嬢様。トーマと遊ぶのもよろしいのですが、お嬢様に早く召し上がっていただかないと私が味わうのが遅くなってしまいます」
と、慇懃な態度でのたまった。「わかってるわよ」とリリーはぞんざいに返事をしつつ、それからおそるおそる水あめを匙ですくうと、ゆっくり口元へと運んでいく。
「んっ……」
口に入れた瞬間、頬が緩む。
「あまい……あまいわ」
幸せそうに目を細め、味を確かめるように、ゆっくり口をもぐもぐとさせる。
「蜂蜜みたいにとろりとしているのに、蜂蜜みたいには、あまくない……?」
「そうかな」
そうかもしれない。
少なくとも、同じ容積なら水あめは砂糖よりも甘くないし、蜂蜜は砂糖よりもずっと甘い。水あめもはちみつもだいたい一五パーセントくらいの水分を含むので、甘さの差は主成分となっている糖類の違いに由来するということである。ものすごくざっくりと言うと、水あめの主成分の麦芽糖は砂糖より甘くなくて、はちみつの主成分の果糖は砂糖より甘い。
水あめが蜂蜜のかわりになるかというと、ちょっと微妙なところだと思っていたんだけど……。
「まあ、蜂蜜なんてめったに食べられないんだけどね」
「だが、これはカブイモとヘラムギだけで作れる。おいトーマ。これはどれくらい日持ちする?」
「まずよっぽど腐らないです。気をつけないといけないのはカビだと思いますけど、そっちも湿気に注意していれば大丈夫じゃないかと」
その場にいた全員の表情が変わる。
「クーシェル。どうかしら」
「今年からは、冬に食べるべきはカブイモじゃなくなりますね。これからはカブイモは全部水あめにしてもいい……今までは冬のうちにカブイモを食べきらないといけないと思っていましたが、これなら年中食べられる糧になる」
「それってどういう……あ」
〈ぼく〉の知識で気付く。カブイモは冬の野菜だから、冬に収穫する。比較的保存も効くけれど、それはあくまで冬の間、気温が下がる間のことだし、そもそもが植物が冬越しのための栄養を貯蔵する部分なのだから、時期が来れば芽が出て、根茎に蓄えられた栄養はどんどん使われていく。つまるところ、春、夏を越えて秋まで保存できるようなものではないのだ。冷蔵庫や冷凍庫があるわけでもないし。
しかし水あめにすれば、通年食べられるようになる。
「領民にカブイモの作付けを増やすよう、お父様に提案しなければいけないわね。それから冬に食べるものも考えないといけない。トーマ」
真剣な表情でリリーがぼくに問う。
「水あめを作るときに出たしぼり滓は、家畜の餌にすればいい……だったわよね」
「う、うん」
「それは、鳥でもいいのかしら? たとえば」
「アヒルバト」
と、勝手に口をついて出た。
「アヒルバトは、果物や木の実、種なんかを食べるから、たぶんカブイモの滓も食べると思う。でも、それだけだとカロ……栄養が足りないかも」
「じゃあ、たとえばカブイモの種は?」
間髪入れずにリリーが尋ねる。
カロリーと言いかけて一瞬口ごもったことはまったく気にしないみたいに。
カブイモの種からマスタードオイルを作ろうと思ったけどできなかった。辛くなかったので。ただ、辛くないということは、毒がないということでもある。アブラナ科の植物がなんで辛いかっていうと、有毒な成分で天敵から身を守るためだ。逆に辛くないなら、鳥の餌にできるかもしれない。
「種そのままだとたぶん油っぽすぎるから、これもしぼった滓がいいかも。カブイモの葉も余ると思うから、油のしぼり滓と混ぜたら、ちょうどいい餌になるかもしれない。採った油は……まあ何にでも使えると思う」
「カブイモの種から油が採れるの?」
頷く。
「よすぎるくらいに都合がいいじゃない。ふふ、ふ……」
リリーの口から、笑い声がこぼれる。
「どうしてかしらね。あとひとつき……ううん、ほんの数日はやく知っていればよかったのに」
「リリーお嬢様、それは」
「いえ、いいわ。もうどうしようもないことだもの。それに、これでよかったのかもしれないわ。お兄様には、ちょうどいい置き土産になる」
置き土産?
「ああ、トーマにはまだ話していなかったかしら?」
何がなんだか分からずに呆けるぼくに、リリーがかすかな笑みをたたえて言う。
「わたし、修導女になるのよ」