アヒルバトは、イスランドでは祝いの席などで供される鳥である。
名前はアヒルのような歩き方をすることに由来し——この世界にはアヒルはいないので、これは〈わたし〉の知識に合わせた訳語だと思うけれど、アヒルという名も一説によれば歩き方に由来するものである。
さて、アヒルバト……。
ハトかと言われると、あまりハトらしくはない。
まず、大きい。
よく太っているので飛ぶことはもちろんできない。頭は確かにちょっとハトっぽいけれど、全体的な姿はアヒルやカモに似ている。
なのだけど、ロドリゲスドードーのようにガチョウに似たハトはいなくもない——もういないけど——ので、ドードーのような鳥なのだと思う。
実際、この世界にはドードーのようなハシビロバトという鳥がいるし、アヒルバトもハシビロバトに近縁な種を家禽化したのだろうと思っている。
ぼくはアヒルバトを食べたことがないから、どういう味なのか、これから味見してはじめて知ることになる。楽しみではあるけど、味に合う調理法を試すだけの猶予がほしいとも思ってしまう。リリーの成人の祝いは、明後日行われるのだ。
「クーシェルさん、アヒルバトって普段はどういうふうに料理するんですか?」
「内蔵を取り出して丸焼きにするのが定番なんだが、食ってうまいのはむねとももだから、捌いてそこだけ使ったりもする。どっちもグリルにするが、むね肉は茹でても食う」
「ほかの場所は食べないんですか? 肝臓とか」
「肝か? 臭みが強くて食べられたもんじゃないぞ」
「なるほど」
「まあ、丸焼きにはバターも香草もめいっぱい使わなきゃならんし、ありゃ上級貴族の道楽だな。金の食事ってやつだ。むね肉ともも肉に捌いて白い食事にするのが、うちにはちょうどいいだろ」
白い食事は健康のための食事、という価値観がこの国にはあるけれど、健康を考慮しない贅沢のための金の食事というものがある。
黄金色に焼き上げたアヒルバトのローストのごちそう感はすごかろうし、祝いの席にもぴったりだと思うけれど、男爵家くらいの下級貴族だと、白い食事のほうが分をわきまえていてよいとされる。
クーシェルから捌き方を教わって、試しに捌いてみるものの……これがなかなかむずかしかった。鳥なんか捌いたことないから、どこをどうやって切っていいのか、まずそこからわからない。
「まあ最初はこんなもんだろ」とクーシェルは言うけれど、祝いの席の料理に「不慣れだから」なんて言い訳はできない。
ただ、やり方はだいたいわかったので、次はもうちょっとうまくやれるとは思う。
味見をする。
むね肉ともも肉をグリルで、ささみは茹でてみる。
「ん……思ったより……しっかりとした身で……味……味するな……」
「そりゃ味はするだろ」
焼きあがったアヒルバトの肉は、きれいな白色をしているけれど、味は思ったよりは淡白でない。むねは脂っぽさはなく、あっさりとした味だけど、噛むとしっかりと旨味を感じる。素直においしい。歯ごたえはカモに似るかもしれない。
ももはむねよりも脂がのっている。これもうまい。歯ごたえはしっかりとあるし、味も濃い。ただ、味にすこし癖がある感じもする。
ささみのボイルは、ちょっと茹ですぎな感じがするけれど、味はむねに似ている。たぶんむねもボイルにしたらこんな感じになるのだろうという気がする。しっかりした肉の繊維を感じる。鶏のささみとも趣が違う。
ガラで出汁をとった白いスープ、これはもちろん白い料理の材料になる。ポリッジやグリュエルのベースにもするし、煮込みにも使う。
出汁も味見してみる。
「……うまいですね」
「だろう」
塩なしでも、しっかりと味がある。
鳥だけあって、ニワトリの出汁に似た味ではある。ニワトリに比べると甘みがあって、味が丸い気がする。風味はちょっと個性的だけど、悪くないと思う。香味野菜との相性がいいんじゃないかな。
もっとじっくり煮込んだら、味が濃縮されて、たぶん軟骨や皮からコラーゲンが溶け出て、とろみがついて……それは……うまくないわけないのでは?
「やれやれ、試してみたくてたまらないって顔になってきやがった」
「そりゃあ、そうですよ……こんなスープ味わったら……クーシェルさんだって、そうじゃないんですか?」
「最初の頃はそうだったがな。やれることを一通りやっちまったら、そうでもなくなるもんだ」
それはそうかもしれない。
ぼくにとっては未知の食材だから、いろいろ試してみたくなる。
〈わたし〉が仕事をやめたときに料理を趣味にしようって思ったのは、本当にただの直感だったけど、やっぱりぼくには合ってたんじゃないか。
もっとも、〈ぼく〉の意識と混じり合った影響がないでもないとは思うんだけど。
味見に使った残りは、クーシェルが料理して男爵家の夕食に出すことになっている。いろいろ試してみたかったけれど、練習台にできるほど安い食材でもない。
祝いの料理はぶっつけ本番になってしまうけど、まあなんとかなるだろう。言ってしまえば鳥の肉である。
手羽も足もぜんぶ出汁をとるために使ってしまったけど、少ないとはいえ身がついている。これは今日の使用人のまかないに振る舞われることになる。
それにしても、アヒルバトのような鳥は大型の動物に比べて育つのが早いし、もっとたくさん飼育したらいいと思うんだけど、餌の確保がむずかしいのかもしれない。
カモシシがよく食べられるのもわかる話で、冬場をのぞけば餌に困らない。一方でラクやマウシカは粗食に耐えるけれど、育つのに時間がかかりすぎるのが難点だ。
結局のところ、肉食文化の発展は農業の発展抜きには成し得ない。
ヘラムギもカブイモも、食べた感じは飼料にもできる作物じゃないかと思うけど、ヘラムギでマウシカ一頭を、あるいはカブイモでカモシシ一頭を生育するのに、はたしてどれくらいの量に必要になるかというところなんだけど。
計算するまでもなく、飼料から得られる熱量すべてが肉に変わるわけじゃないから、人間が直接食べるほうが効率がいい。
ちなみに、牛肉の場合だと確か一キロの肉を得るのに十キロ前後の穀物が必要になるんだったと思う。ちなみに豚肉一キロで五キロ前後、鶏肉一キロで二キロ前後の穀物が必要になる。
マウシカやカモシシ、アヒルバトがどうかは知らないけれど、穀物だけで彼らを育てるのは、今の作物の生産状況を考えるとむずかしい。
とはいえ、人間の食糧と競合する作物だけで彼らで養う必要はない。
マウシカもラクもカモシシも、人間が食べられないようなものでも餌にできる。
家畜たちは、森に生える下草や硬い木の実さえ食べる。
人間が食べられる作物を与えるのは、そのほうが生育が早いからだ。供給を拡大するためであって、生産力に余裕がない現状で考えることではないかもしれない。
人間が食べるのに適さない作物だったらどうだろう。
ヘラムギやカブイモの栽培に適さないところで育つ牧草や雑穀があれば、食肉の供給量を向上できるかもしれない。
と思うけど、ぼくに何かできるわけでもないし、けっきょく思うだけなんだけど。
うーん、でも、雑穀か……。ちょっと気になるな。
まあでも、それより、今は明後日のリリーの祝いの料理だ。
そして当日。
リリーの成人を祝う席にて。
ぼくは、料理を三品用意した。
テーブルに料理の乗ったトレイを置くと、皆が息を呑み、大きく目を見開いた。
「こちらが、リリーお嬢様のご成人をお祝いしてご用意いたしました、まったく新しい料理——題して、『赤い食事』にございます」
白でも金でもない。
これからは、赤い食事の時代だ!