雨が降っている。
屋敷の庭中に盥や瓶が置かれている。雨水を貯めるのだ。
ふだんは水は井戸から汲んで使うけど、雨が降ればその水も捨てずに使う。飲み水はそれだけ貴重だ。特に、雨水は池や川の水より信頼性が高く、重要な水源になる。
それはさておき、雨が降ってしまったので、外の窯でパン焼き実験を行うことができなくなった。
試作三号の焼成は次の機会……なんだけど、窯が使えるかどうかあやしい。使えなかったらそのときはそのときで組み立て直すしかないんだけど、またあれを作るのかと思うとちょっと気が遠くなる。とはいえ石を集める手間は省けるので、一から作るよりはマシと思って諦めるしかない。
今は何をしているかというと、爺の部屋にある本を借りて読んでいるところだ。
読み書きは順調にできるようになってきている。本も、内容によるけれど、じっくり時間をかければ、なんとか読めるかなというくらいに読めるようになってきた。
爺の部屋には、けっこうな数の本がある。
爺は家令を務めている。家令の仕事は屋敷の管理、使用人の監督、そして領地の運営補助である。
領地の運営にかかわるには、それだけの知識と見識が求められる。爺の部屋にはそのための資料が揃っていて、だからこその蔵書量というわけだ。
ぼくが見ても問題ないものを、いくつか借りて読ませてもらうことにした。
ぼくの読み書きのレベルは、現代日本で言うところの小学校低学年レベルだと思ってもらえればいい。
それでもこの国の十三歳としては充分に教養がある水準だと思うけれど、これだとぼくが読んで理解できる内容は、あくまで初歩的なものに限られる。
けれども、子供向けの本というものは、ない。
子供向けの物語というものはあるけれど、これらは基本的に口伝だ。たとえば吟遊詩人が語って聞かせるものであって、子供が自分から手にとって読む本という形では普及していない。
それはそうだろう。
読み書きできる子供というのは読者として想定されていない。
子供向けの本の成立は、地球でも近世以降のことだったと思う。さもありなん。
ともかくそうなってくると、たとえば百科事典でわかるところを斜め読みするというような読み方になる。読みかじりの知識になってしまうのがちょっと不安だ。
読みかじりでも、〈わたし〉の記憶で妥当性を検証できる知識もあるにはある。
たとえばこの世界のことだと、世界が球体だと考えられているという話なんかが当てはまる。
これは驚くことでもない。
地球でも中世以前から球体説は支持されていたし、ヨーロッパにおいても平面説を支持する教養人は中世の終わりにはいなくなったと言われている。
エラトステネスが日時計を用いたように、世界が球体ならそれを観測する方法がしっかりあって、実践して知ることができる。
世界が球体なら、二点の緯度差からざっくりとした広さを概算で求めることができるし、この世界の広さも昔の学者がそのようにして調べたものがあって、この国の教養人の間では通説として知られている。
これまでに本で読んだ知識によれば、たぶん地球と同じくらい。単位系が地球のものと異なるし、概算なので正確にはわからない。
世界の広さがわかったところで、陸地と海の割合がわかっているわけでもないし、世界地図も部分的なものしかないから、大したことはわからないんだけど。
ところで、イズ語の方角について、日が昇る方向を東、東を向いたときの右手側を南だと理解している。
この国の北部が寒く、南部が暖かいという話と、太陽が南を通ることを考えれば、今いるのは北半球だろうと思う。
とはいえ、それが分かったところでどうということもないんだけど。
雨音、ときどき、本をめくる音が二つ。
今この部屋にいるのは、ぼくとリリーの二人。
二人で静かに本を読んでいる。
使用人が領主の娘と一緒に本を読んでるのは、いいんだろうか、とちょっと思うけど、誰も特に何も言わないし、爺はむしろ「お嬢様と一緒にいてあげてください」なんて言う。
さすがに食事は一緒にってわけはいかないけど、それ以外の時間は、二人でいることが多い。
こんなにも静かな時間を過ごしたのって、なんだか久しぶりな気がする。
リリーといると、こんなに静かになることってほとんどない。
ぼくが何かをすれば、リリーが「それは何かしら?」って聞いてくる。
この世界に来てから、リリーはずっとぼくの近くにいた。
今も近くにはいるけどね。
それに、この世界に来てからもそうだけど、この世界に来る前も、こんな時間の過ごし方をしたのは、いつぶりだっただろうか。
〈わたし〉はずっと仕事しかしてなかったから。
「ねえ」
向かいに座っている女の子が、声をかけてくる。顔をあげると、彼女は本に目を向けたまま、続ける。
「トーマはやりたいことってある?」
「パンを作ることかな」
「パン?」
リリーが顔を上げる。
「聞いたことない言葉ね」
「この間、窯を作ったでしょう」
「バニッジを焼くのに作ったのよね」
ぼくは首を振る。
「本当は、ぼくはパンが作りたいんだ。バニッジじゃなくてね」
「そのパン、っていうのは、何? どういうものなのかしら」
「言葉で説明するのはむずかしいな……麦の粉を練って焼き上げたものなんだけど」
「それは、バニッジよね」
首を傾げてリリーが言う。
そうだよね。
「バニッジみたいに麦の粉を練って焼き上げたものなんだけど、バニッジと違って中がふっくらとしていて、柔らかいんだ」
「……そんな食べもの、あるのかしら?」
「まあ、実際に見て食べるのが一番なんだけど、そのためにはパンを焼けるようにならないといけない」
「その、パン? というものを焼くのと、バニッジを焼くのは、どう違うのかしら」
「使う麦が違うと思うけど、パン用の麦は……この世界にはないかもしれないね」
今読んでいるのは、この世界の植物をまとめた本。といっても、たぶんあんまり正確な本ではないと思うけど、もとから期待していない。今この世界でわかっているレベルのことで充分だ。
で、この本で世界の作物について調べてみたけれど……ヘラムギ以外の麦はどうもないっぽいんだよね。
バニッジも粥もヘラムギ、エールもヘラムギ。万能穀物ヘラムギ。
ヘラムギ以外の作物も、バリエーションに乏しい。
煮込みでおなじみのカブイモのほかに、タケノコみたいな形の葉野菜のカウェル、ニンジンを白くしたみたいなセンジン、樽みたいな形の球根のタルネギ……カブイモ以外は食べたことがないから、どれもさっぱり味が想像できない。
「……想像上の食べもの? パンって、神話か何かに出てくるのかしら」
まあ、パンも、ぼくの頭の中にしかないっていう意味では、想像上の食べものかもしれない。
ふと、スウェーデンカブのことを思い出す。
あれも結局食べないままだったから、どういう味なのかわからないままだったな。
でも、カウェルもセンジンもタルネギも、スウェーデンカブと違ってこの世界にあるから、そのうち食べる機会がきっとある。
「まあ、いつかできたら食べさせてくれるんでしょう?」
「それは、もちろん」
「楽しみにしてるわね」
そうしてリリーは読書を再開したので、ぼくも植物事典の続きに戻ることにした。
このときのぼくの頭の中はパンのことばかりで、リリーがどうしてぼくにそんなことを聞いたのか、それを考えることはなかった。
それから数日間、雨で外に出られない日が続いた。
このあたりでは、冬になる前にはこうして雨が続く日があるのだという。日本の梅雨みたいなものかな。梅雨が明けてやってくるのは夏で、冬じゃないんだけど。
やがて冬がやってくる。
冬がやってくるのと同じ頃に、彼らは帰ってきた。