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第2章 長いプロローグのそのあと
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異世界の神になってちょっと立地見るだけ

19. 体験版の終わり

 三ヶ月。
 いくらなんでも寝すぎだ。
 三ヶ月も寝てたら アニメ 1 クール分丸ごと見逃すことになる。
 ほとんどのアニメは 1 クールで完結するからそのシーズンの大半のアニメを見逃したのと同じだ。
 もちろん空中回廊で三ヶ月経ったところで、地球では 4 分しか経過していない。標準的なお湯入れ 3 分のカップ麺は残念ながらおいしくなくなってしまうけれども、太麺タイプならちょうど食べ頃だ。
 ニルシュヴァールに降りて活動していた期間を合わせても半年。5 ~ 6 分にしかならない。
 アニメを見逃す心配はない。よかった。

 意識体は代謝が起こらない。身体的な情報が変化しないということらしい。なので空中回廊でどれだけ時間を過ごしても、地球に戻ったときには、空中回廊に来た時点の身体情報が復元される、らしい。

 何も問題はないように見えて、そうでもない。
 精神は確実に歳を取る。

 経験を積み、見聞を深め、知識を蓄えると、人はどうなるかというと、やがて守りに入るようになる。
 知らないことが多い状態というのは、不測の事態に対して脆弱だ。そういう脆弱性は人間という生き物の生存にとって非常に危険なので、知らないことをなくすために行動しようとする。
 知らないことをなくすためには、これまでにやったことのないことをやらなければいけない。
 言い換えると、冒険が必要だ。
 冒険とは、危険を冒すこと。
 長期的な安全のために短期的な危険を冒すわけだ。
 で、そのために好奇心が機能しているのだとすれば、長期的な安全が確保されたら人間はどうなるか。
 わざわざ危険を冒す必要はないので、保守的になるのは自然だ。というわけで、冒険心が衰えていく。
 感性が摩耗するとか、思考が硬直化するとか、いろいろな言い方をするけれども。
 精神の老化とはそういうことである。

 いくら身体的な情報が変化しないと言っても、ここは地球の 36,523 倍の速さで時間が流れる。、俺の精神は老化していくことになる。
 まあ、そうは言っても歳を重ねても感性の若いご老体というのも実際にはいらっしゃる。意識の問題なんだろう。

 冒険心を失うことに対する恐怖感があるうちは、まだ大丈夫だ。
 忘れないように心に留めておきたい。

 そう考えると、悠久人というのは途方もない存在だ。
 時間感覚を早送りできるとはいっても、その気になれば地球上の全ての本を読んでなお時間が余るんじゃないか。
 想像するだに、気が狂いそうになる。

 あるいは、もう狂っているのかもしれない。

「トールさま?」

 アンネが心配そうな顔でこちらを見ている。

「なんでもない。少し考えごとしてただけ」
「顔色が悪いようですが」
「そりゃ起きたら三ヶ月も経ってるって聞いたらね」

 ところで下界の様子はどうなってるんだろう。
 というか、死んだら下界の肉体はどうなるんだろう。

「俺って、下ではどういう扱いになってるんだ? 死んだわけだから、たとえば死体とか」

 死んで数ヶ月も経つと腐敗の進行もそうだけど虫食いでボロボロになってゾンビ映画の様相を呈することになる。

「死体は残りません。死んでまもなく消滅します」
「消滅って」

 神の身体、無茶苦茶やん。

「意識体を引き上げると、それ以上身体を維持することができなくなりますから」
「なるほど、理にかなってる」

 のか? よく分からないけども。
 そういうことにしておく。

「俺、殺されたわけだけど」
「そうですね」
「殺した相手からすると、殺したはずの人間の身体が突如消えたらおかしなことになるのでは」
「なりますね」
「なりますね、って……」
「気になさらなくても大丈夫だと思いますよ。幽霊か何かに遭ったとでも思うんじゃないですか?」
「そうなのかなあ」

 文明の水準からするとそれは不思議なことではないんだけれども。
 俺が殺された理由によっては、幽霊か何かに遭った、とかのほうがまずい可能性もある。

「気になるのでしたら、実際に状況を確認してみるのがいいと思いますが」
「俺死んだけど降りても大丈夫なの?」
「神さまですから」
「なるほど」

 無茶苦茶やん。

には一定のの経過が必要ですけど、何しろ三ヶ月も寝ていらしたので」
「他に制限は?」
「トールさまを殺した相手からすると、殺したはずの人間が無事に出歩いているのを見ると……」

 そうだよね。そういう懸念は残る。

「ですから、顔を隠すだとか、何かしらの対策が必要かと思います」
「殺した相手が分かるまでは慎重に行動しないと、かあ」
「そういうことになりますね」
「ところで」
「なんでしょうか」
「俺、相変わらずが開けないんだけど」
「そうですね」
「降りたらどうやって戻ってくればいいの?」
「!!」

 今気付いたみたいな顔されても……。

「そ、そうですね。じゃあトールさまから連絡していただいて、わたしがこちらからを開くので」
「世界間通信もできないよ」
「できないのは、わたしからトールさまに送った『声』を聞くことだけですよね。わたしはトールさまの声を聞けますから、大丈夫じゃないかと……」
「ちょ、ちょっと待って」

 よく考えたらそれっておかしいぞ。

「俺からアンネに声が届くのってどういう原理なんだ? を開けない、つまり世界間通信の経路を通せない状態だから、『神託』もできない。そういうことだったと思うんだけど」
「!!」

 今気付いたみたいな顔されても……。

「言われてみれば、確かにおかしいですね。トールさま、おかしいです」
「まるで俺の頭がおかしいみたいな言い方やめろ!」

 それからそのてへぺろ顔もやめろ!
 気に入ったの? ねえ気に入ったの?

「考えられるのは、受信経路を開けないとかですけど」
「想像なんだけど『神託』ってこっちから相手との通信経路を開く能力でしょ」

 そうじゃなきゃ『神託』にならない。

「送信経路だけ開けているってのも変だ。そもそも受信と送信で別々に経路を開いたりもしないよね」
「トールさま……するどいですね」

 感心されても。

「トールさまの受信側のアンテナが壊れた、と考えるのはどうでしょう」

 なるほど。

「そういうものがあるのかどうかは知りませんが」
「台無しだよ」
「ところで、トールさまの能力に関する問題を全て解決する、魔法みたいな方法がひとつだけあります」
「続けて」
「わたしがいっしょに下界に降りればいいんですよ」
「へえ」

 そんなことできるんだ。
 ……。

「待って」
「なんですか?」
「あのさ、俺が地上に降りて神をやってるのって、確かアンネが地上に降りられないから、って聞いたんだけど」
「そうでしたっけ」
「そうでしたっけじゃねえぞふざけんな」
「まあまあ、いいじゃないですか」
「よくない」

 おかげで快適さと無縁の異世界生活を送って戦争に巻き込まれた挙句に何者かに暗殺されるはめになったんだぞ!

「だいたいを開けるのに地上に降りられないわけないじゃないですか」

 こいつ!

「というか、そうだよ。よく考えたら『神託』でいいんだよ。もともと『神託』を下す相手を探すために地上に降りたんだし」

 その相手はもう見つけて接触済みだ。

「でも、お会いになったのはトールさまですから、トールさまご自身でないと『神託』を下したりできませんけど」
「ぐぬぬ」
「ですからやはりここはわたしが下界に降りてですね」
「ひょっとしてアンネ、下界に降りたかったの?」

 明後日の方向を向いて、下手な口笛を吹きはじめた。

「はあ、まあいいや。どっちにしても状況を確認するために下には降りなきゃいけなかったわけだし」
「そうですそうです」
「そんなに乗り気なんだったら、最初から一緒に下に降りればよかったんじゃ」
「それじゃあトールさまが頑張るお姿を眺められないじゃないですか」

 俺は見世物かよこっちは命がけなんだぞ。

 そう思ったけれども。

 アンネにとって、人間一人見世物にするくらいたいして抵抗感なんてないのかもしれない。
 悠久人の生きる時間は、途方もなく長い。
 それくらいの逸脱は、充分に想像の範疇に収まる。

 まだまだ、狂っていると呼べるほどじゃない。

 それじゃあ降りようか。
 思ったところで。

「トールさま」

 アンネがいつになく真剣な表情でこちらを見ていた。

「これからを通って、下の世界に降りる前に、ひとつ確認させてください。

 今、トールさまは空中回廊にいます。ここからなら地球に帰ることができます。ですが、一度下界に降りてしまえば、またここに戻ってくるまでは、地球に帰ることはできません。
 トールさまが下界で経験されたように、不意にを開けなくなる可能性はわたしにもあります。一度下界に降りてしまえば、何が起こるか分かりません」
「今更だよね」
「今更こんなことを言うのはおかしいとはわたしも思っていますよ」
「最悪死んだら戻って来られるよ」

 死にたくはないけれども。

「でも、最低限の安全の保証。それは今でも信じてるんだ」
「……そうですね。トールさまはそういう方でした。もっとも、だからこそトールさまに神をやっていただこうと思ったのですが」

 ひょっとして褒められてる?
 いや、まさかね。

「それでは、今更ついでにもうひとつ。死んでここに戻ってくるたびに、トールさまの意識体を再構成するための時間が必要になります」

 それで三ヶ月も寝てたのか。

「当然、その間も下界では時間は流れますから、不測の事態が起こったときにトールさまが介入して対処することができない、ということを意味しています」
「デスペナだと思えばいいかな」
「そうですね。地球のゲーム用語で言えばそんなところと思います。このタイムロスは、地球時間なら誤差で済みますが、下界時間では無視できない長さになります」

 地球時間での誤差を無視できない、となると、地球で有意な時間を過ごすのがどういう意味を持つか。

「地球での数分が、下界では無視できない長さの時間経過に繋がるのです」

 意識体の再構成以上に、地球に戻ることのほうが、より大きな時間的損失になる。
 これからも神として世界に介入していくつもりなら。
 いつでも好きなときに地球に戻ることは、もうできない。
 アンネは言っている。
 体験版は、ここまでだと。

「それでも、トールさまは神さまをお続けになりますか?」

 俺の答えは、とうに出ている。

「モチのロンのロンバルディアよ」
「え?」
「え?」

 ……。

 と、ともかく。
 神、再開、だ。


「もうちょっと便利なところに降りてもよかったんじゃ」
「いえ、トールさまは一度お亡くなりになられていますからね。人目につくところは避けたほうがよろしいでしょう」

 どこに降りたかというと、最初に降りた野営地である。
 俺が暗殺された場所でもある。

「何をなさっているんですか?」
「いや、ちょっと」

 ちょっと木の枝で地面の上に人型の印を書いてみたりしてただけだ。
 殺人現場、なんつってな。
 はは……。

「殺人事件の現場検証ごっこならしませんよ」
「だ、誰もそんなことしようなんて言ってないだろ」
「だったらどうしてちょっと動揺してるんですか」

 いや一回くらいやってみたいでしょ。
 まして自分が殺された現場なら……。
 ていうか、俺ここで殺されたんだよな……。
 辛くなってきた。

「ここ気分が悪いから移動したいんだけど」
「それもそうですね。それでは、森を出て集落の方に行きましょうか。くれぐれも人に見つからないようにしてくださいね」
「分かってるって。ていうか、アンネまで顔を隠す必要はあったの?」

 今のアンネの、というか俺たちの格好は、平たく言ってしまうと野盗のそれである。麻のフードを被って革のマントを羽織り、顔を隠すだけでなく体格も分かりにくくしている。

「その格好のトールさまと私が一緒に歩いてたら、不自然だと思いますよ」

 想像してみる。
 村娘の姿のアンネと、野盗姿の俺が一緒にいると。
 うーん。野盗に襲われてるようにしかみえない。

「言われてみれば、確かにそうだ」

 ただしふたりともめちゃくちゃ怪しい格好である。
 顔が割れてなかったら堂々としてればいいんだろうけれども。というか、もっと他になかったんだろうか。たとえば巡礼者とか。
 そんな俺の心中を察してか、アンネが言う。

「誰がトールさまを暗殺したのかわからない以上、素顔を晒すのは避けた方がいいでしょうね。多少怪しくても、それは仕方ありません」
「悪目立ちしそうで不安だ」
「トールさまが『遠見』を使えたら、ここから村の様子を伺うんですけどね」
「アンネはできないの?」
「わたしは神ではありませんから」

 を開いたりはできるのに。

「文句を言っててもしょうがないか」
「そういうことです。それでは行きましょう」

 にしても。
 妙な感じがある。
 何がって、隣にアンネがいる。
 フードとマントで顔も身体も隠しているとはいえ、だ。
 ちょっと緊張してきた。
 うう、何か話題話題。

「それにしてもいい天気ですね」
「そうですね」

 ……。
 緊張して何故か敬語になった上に話題が続かなかった。
 俺 is コミュ障なのでは?
 知ってたけどね。

「トールさまは」
「ん?」
「この森からたったひとりだけで、ニルシュヴァールを外敵の脅威から守られたのですね」

 隣を歩くアンネがしみじみ言う。
 が、俺は前を向いたまま、やんわりと否定する。

「ひとりだったのは最初だけだよ」
「心細くはありませんでしたか?」
「ひとりには慣れてるからね」

 それこそ俺がひとりで過ごすのを、アンネはずっと見てきたんじゃなかっただろうか。

「そろそろ森を抜けます。くれぐれも、お気をつけて」
「分かってる」

 と、口では言うものの、俺は多分分かってなかったと思う。実際、正体がバレることへの危惧や懸念よりも、俺の手を離れたワレシュティ租界が、三ヶ月の間にどう変わったのか、そっちに対する不安とか期待の方が大きかったから。

 だけれども。

「え?」

 森の外に広がる光景は、俺の想像からは大きく外れていた。

「はあ……すごいですね。トールさま、見てください。もう町ができていますよ。見事なものです」

 アンネが感嘆の吐息を漏らす。
 石畳の目抜き通りの両脇に、煉瓦を積み上げた家が立ち並んでいる。まだ基礎を組んでいるというところも多いが、充分、町という感じがする。村ではなく、町だ。
 その町の周りには、盛り土で防塁が築かれている。その上に石を積み、城壁を作る途中なのだろう。ここは辺境だから、防衛拠点としての機能も必要になる。
 この町の領事はシャルだ。
 シャルがこれを作らせたのだとしたら、やはり俺の目に狂いはなかったと言える。
 ただ、今はそんなことを考えている場合ではない。
 俺が驚いているのは、そこではないのだ。

「町ができているのはいい。そうじゃない」

 この町には、もっと大事なものが欠けている。それも、決定的なまでに。

「どうして、この町には誰も人がいないんだ?」

 石畳の目抜き通りを行き来するのは、風と砂埃だけ。
 立ち並ぶ家に主はなく、作りかけの家にも城壁にも、その続きを手がけるものはいない。
 まるで打ち棄てられたような姿の町だ。

 俺が空中回廊で寝ている三ヶ月の間に、ワレシュティ租界はゴーストタウンと化していた。

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