荷馬車に揺られての移動中。もう臀部の痛みには慣れつつある。すっかりファンタジー生活が身についてきたような気がするな。
こういうことにあまり弱音を吐かない方なのだけど、愚痴る相手がいないというだけだったりする。
ぼっちだからね。
正直身体の痛さよりもぼっちであることのほうがつらい。
いまはぼっちじゃない。
荷台の隣にはシャルが寝息を立てているし実際かわいい。残念ながらふたりっきりではなくて、向かいには指揮を執っていた元守備隊の老兵が座っている。
ニルシュヴァール南西平原での戦いから二日。
我がニルシュヴァール解放軍は、南西平原の野戦陣地を放棄して、北東へと進軍中だ。目的は言うまでもなく、敵補給路の断絶のため。
この荷馬車の前方には、槍歩兵、弓兵として活躍して頂いたニルシュヴァール領民の皆さんが隊列を組んで歩いているし、後方には、食糧や物資を積んだ荷馬車が列を作っている。
重装歩兵がいないので、悪路ながら、行軍速度はそれほど悪くない。
「見事な奇策だな」
「ん」
「運河の水を排水路に抜いてしまうってのは、随分思い切りがいい。あんたの国では普通なのか?」
「水攻め……ってのはちょっと違うかもしれないんだけど、このへん水はけが悪いなら、二、三日は水浸しかなあと思って」
「まあ馬は嫌がるだろうな」
「多少の悪路は平気だと思うけどね」
「だから事前に掘り返させたんだろう? 意地がわりいやり方だよ」
地面を掘り返して柔らかくして、泥沼になりやすいようにしておいた。
泥遊びしやすくなったよね。
そのかわり皆の大好きな騎射はお預けだ。
泥遊びで我慢しような。
足を取られた敵騎兵を、急ごしらえの槍歩兵でメッタ刺しだ。
代わりに運河が使えなくなっちゃったけど、それはしょうがない。
シャルも心配してたけど、後のことは後で考えればいい。
「しかしあの壕も大したもんだな」
「間に合うかは正直微妙だったよ」
「ま、そこはニルシュヴァール男子の力の見せ所だな」
この辺りの領民は、長らく治水工事に駆り出されてきた。
戦力としては練度に不安があるかもしれないが、体力はあるし、土木に対する高い技術と経験がある。
彼らは一級の工兵だ。
馬防柵から 200 m くらいこっち側、相手から見ると奥に、深さ 1 m ほどの塹壕を掘って、そこに大盾で蓋をするようにして隠れてもらった。
盾の表面には藁を括りつけて、地面の上に寝かせると、遠目にはちょうど草が生えているように見える。
これを塹壕の蓋にすると、あら不思議。
走ってくる騎兵からは、ただの草原が広がっているように……見えたらいいなあと思ったけど、ちゃんと見えていてよかった。
実際手前が少し膨らんでいるので奥の溝が見えにくくなっているというのもあるんだけど、ゆっくり歩いて近づくと露骨に溝が目につくので、ここはうまくいくかぶっつけ本番で心臓に悪かった。
「ありゃ大した策だったぜ。この一戦だけでも歴史に語り継がれる名軍師だ」
それは言い過ぎだ。
もし釣り野伏せでなく、真っ向から騎兵 3,000 の突撃をかまされていたら、まるで太刀打ちできなかった。
長弓兵がいれば……と思う。
クロスボウでもいい。
熟達した長槍兵もほしい。
農夫の皆さんも、よく頑張ってくれたほうだ。
彼らは弓が使える。弓と言っても、狩猟用の短弓だ。
専業で農業だけやってるわけじゃなくて、農作業の傍らで狩猟に勤しんだりしている。これはわりとふつうのことだ。農業だけやって食べてはいけないので、農閑期はもちろん、そうでないときもちょくちょく森へ狩りに行ったりしている。
狩猟用の短弓は射程に難があるけれど、その分扱いやすい。長弓は引くのに力がいるし、熟練を要する。
今回は不意打ちのために、構えから射るまでの時間が短いことが要求される。
引くのに時間がかかる長弓はパスだ。もちろん練度の問題もあるんだけど。
敵騎兵が距離 200 m を切るまで近付いたら濠から出て弓を構えて、放つ。
騎兵の足なら馬防柵を飛び越えてから数十秒で 100 m 以内の距離まで近付く。濠から出て弓を構えて射るまでに 10 ~ 20 秒程度かかると計算すると、その頃には敵騎兵までの距離は 100 m 以内にまで縮まっている。
騎兵は的が大きいので、狩猟短弓でも有効射程内に捉えられる。
「逃げていくちいせえ獲物よりも、こっちに向かってくるでけえ獲物のほうが、狙いやすい的だわな」
そういうこと。
近くから狙わずに適当に撃つだけでいいなら、狩猟程度にしか弓の扱いに慣れていなくても、それなりに戦力になる。
あとは数。
本職の猟師の皆さんにインストラクターになって頂いて、付け焼き刃ながら速射法も身につけてもらった。効果があったかどうかはあんまり自信がない。
引ける程度の弓で、よくこれだけの戦果をあげられたものだ、と思う。
ちょっと防衛費を嵩上げして、弓兵として常備軍を編成するのもありだ。
もちろん、ちゃんと長弓兵として使うなら、長い訓練期間が必要になる。
そのつもりは俺にはないし、その権限もないんだけども。
「こっちに向かってくるやっこさんが 1,000 以上だったら、別の手を打つつもりだったんじゃないのか?」
そのつもりがないから、どうするかって別の手を考えることになる。
「もし 1,000 以上なら、戦力を二つ以上に分けてる可能性が大きい。そういうときは前面に気を取らせてからの両翼での挟撃とか、有効手だよね」
「前が 1,000 より少なければ、囮と見るべきか」
「前から来るのが 500 だったら左右に充分意識を回せる。その状態で挟撃はあんまり旨くないんじゃないかなあって。もちろん敵がもっとたくさん兵を抱えていれば、話は別で」
総勢 10,000 いるんだから 10,000 ですり潰してしまえばいい。他に戦力がいないって分かってたらね。
「もし 1,000 以上なら、馬防柵を越えた先の塹壕で足止めをくらうことになる。列が乱れたら、打撃力は落ちる。あとは耐えられるかどうか……こっちのほうが、分が悪かったから、釣り野伏せで仕掛けてきてくれてありがたかったよ」
「ま、敵としても囮で釣って伏兵で叩くほうが損耗が少ないだろうからな。しかしよくも相手の手の内が分かるもんだな。そんな戦術があるとは思わなかったぞ」
「昔からいろんなところで使われてるはずなんだけどなあ」
異世界だからなんだろうか。
でもマジャロヴャルキはおそらく先祖代々この戦術を受け継いできたと思われる。だったらこのあたりに古くから住んでる人は知ってそうなもんなんだけど。
誰か真似したり……は無理か。馬が足りない。
まあ、スキタイもパルティアもマジャールもモンゴルもみんな同じような戦術を使ったらしいけど、一向に対策が立てられなかったからこそのワールシュタットなんだよなあという気もする。
ん……。そういやマジャールとマジャロヴャルキって似てるなあ。
混ざらないように気をつけよう。すぐにまじゃるからね。マジャールだけに。
……。
「せ、戦闘教義って言葉があるんだけど」
気を取り直して、だ。
「ほう?」
「どういう作戦を立てて、どういう戦闘を行うのか、部隊をどう運用するのか、という思想全般を指す言葉なんだけども、どうも古い時代にはこの戦闘教義が凝り固まりがちな傾向があるんだ」
「分かるような、分からんような」
「ある思想を考慮して部隊を編成する。ある思想を考慮して運用する。そうすると、それに対抗するように部隊を編成したり、運用したりするようになるでしょ」
「そうなるな」
「でも、それによってもともとの思想にはなかった弱点が生まれたりするんだけど、それには気付かないまま発展していく、とかがある。結果、原始的な戦術のほうが、合理的だったりすることがある」
「なるほど」
「たとえば、槍兵は騎兵に対して強い。けれども、俺の故郷では、鈍重な歩兵は軽騎兵や軽装歩兵の機動力に追いつけなくて簡単に壊滅状態になったからって、衰退しちゃうんだよな。そうすると騎兵に対抗できる戦力がいなくなるから、騎兵最強、ってなって、騎兵だけを運用する思想が蔓延っていく」
「それが、戦闘教義が凝り固まるってやつか?」
頷く。
「するってえと、あんたはまるで遠い未来から来たみてえな言い方だな」
えっ。
「いやなに、戦闘教義が凝り固まるのは、古い時代に起こりがちなんだろ? あんたの口ぶりだと、その古い時代みたいなことが、ここでも起きてる……ってことになるなあと思ってよう」
「あ、いや、ええと、現代でも戦闘教義の硬直化は起こりうるんだ。俺の故郷の古い時代にありがちだった、ってだけで」
「そうかい」
あーびっくりした。
「たぶんだけど、マジャロヴャルキはとりあえず釣り野伏せできるなら釣っとけくらいにこの戦術が定着してる気がする。逆に、ロ帝国は、騎兵対騎兵の一騎打ちとか、そういう感じなんじゃないかな」
「まるで見てきたように言うじゃねえか」
見て来られたら見に行っておきたかったんだけどね。さすがに見てはいない。
「ま、実際領邦同士の諍いは、一騎打ちで済ますのがほとんどだ。どっちもロ国領内にあって、勝っても負けても得るものなし。失うばかりだからな。馬上槍試合で決着つけて終わりよ」
内輪揉めで戦力使い潰してもしょうがないから、それはそれでいいんだけど。
それだと内陸の領邦は軍備に力を割かなくてもよくなるわけだけど、かといって軍事力に差が生まれると、問答無用で併合できちゃったりするんじゃないか。
いや、そうはならないのか。
隣国から攻められたときだけでなく、内乱が起きたときに鎮圧するためにも、軍事力は必要になる。
どこか一箇所の領邦に軍事力が集まると、その領邦が丸ごと反乱を起こすと、対抗する手段がなくなる。
なので、軍事力を分散する必要があるわけだ。
ただ、愚直に等分すると隣国の脅威に晒されることになる辺境の領邦まで軍を送るのが難しくなる。かといって、辺境の一領邦に軍事力を集中させるのは領邦間の均衡が崩れてしまって、国内の統治に不安が残る。
なので、ロ国では辺境領よりも中央に近いの領邦の方が軍事力が強くなるようにして、そのかわりに辺境領は権力の面で中央寄りの領邦に優越するようにしてバランスを取っているようだ。
アンテルン都市同盟とは逆の方法だな。
どちらかというと内部の統治を重視した戦略だと思う。
ただ、どう考えても主要都市間の距離が空きすぎなので、隣国から急襲されると対処できない。そういう想定ができてなかったんだろう。
戦闘教義に限らず、思想や思考が硬直化してしばらくすると決まって想定外の事態が起こって脆弱性が顕わになる。
これは歴史上、何度も繰り返されていることだ。
ただ、今回の戦いでちょっと時間が稼げたので、伯爵領の軍の方々が応援にやってくるまで、ニルシュヴァールの城壁が持ちこたえるかもしれない。
どうか分かんないけどね。
破城槌でドカドカやったら案外簡単に城門は開いてしまうし、攻城塔で城壁に張り付かれると城壁内に敵兵がワラワラ侵入することになる。
そうならないことを祈ろう。
「しかしまあ、勝ったって言っていいのか?」
「微妙なところだね」
実際、こちらが相手に与えた損耗というのは、大したことない。
「どうがんばったって、向こうの戦力を一割も削れないよね」
「敵が寄越してきたのは、結局 500 だけだった。そのうち 200 強を討って、残りは撤退して本隊に合流。伏兵も引き上げたようだな。そのままニルシュヴァール城の包囲に回るか」
「多分、城南方面を抑えに行くと思う」
「だな。まずは川のこっち側で、三点か四点で包囲網を敷いて、各城門を叩くか」
「城の守備兵が手薄なのはバレてると思うし、包囲して叩いたらどっかは空くって考えるだろうからね」
Civ Ⅳ で都市を殴るときは兵をスタックして一方向から攻めてすり潰すんだけど、そういうことをするのは「どの方向から攻められても、都市に配置された全部隊が対応できる」っていうふうに、ゲームらしく簡略化されているからだ。
複数方向から攻撃を受ければ、兵を複数の方向に分散して守らないといけなくなる。守る側は戦力が手薄なら一方向だけ守るほうが守りやすい。攻める側は戦力に余裕があるなら包囲して攻撃するほうが攻めやすい。
「置き土産は拾っていってくれなかったんだよなあ」
資材置き場に、木材や石材を積んだままにしておいた。
拾ってってくれるかと思ったけど、そうはならなかったようだ。
「輸送部隊を引っ張りだして、伏兵で叩こうってつもりだったのか?」
「そこまでは考えてなかったけど、時間稼ぎくらいにはなるかなって」
「向こうもそれが分かったから手を出さなかったんだろうよ」
戦術的には勝ったけど、戦略的には特に大きな成果とは言えない。
200 人と見て、おおよそ 2 % だ。たったの 2 % なんだよなあ。上出来といえば上出来なんだけど、こっちだって二桁の死人を出している。
もちろん上出来だ。こっちは相手より少ない被害で、相手により大きな損害を与えた。上出来も上出来、出来過ぎである。
が。
死者を出す予定がなかったとは言わない。
言わないけど、出したくはなかった。
俺のせいで、死人が出た。
そのことは、あまり考えないようにしていた。
していたけれども。
「これが、戦争なんだよなあ」
「何を弱気になってんだ、あんたと嬢ちゃんのおかげで、敵を撃退できたんだろ? ちった胸を張ったらどうなんだ?」
老兵が、俺のつぶやきに応える。
「誰も死なさないように……ってのは、考えてなかったけど、それでも実際に目の当たりにすると……」
「なんだ、あんた戦は初めてだったのか?」
苦笑いで、俺は頷く。
「そりゃ大したもんだ。おれは初陣のときは緊張で漏らしちまったからな!」
ガハハ!と老兵は大きな声で笑った。
「ま、ここにいるやつらは、命をかけてでも故郷を守りてえ、そう思って集まってんだ。あんたが気に病むこっちゃねえ。みんな自分で自分の命をありようを決められる大人なんだ」
「命のありようを、決められる大人」
現代人には重い言葉だ。
のんべんだらりと日々を過ごしていれば飯を食えるし着るものも寝るところもある、飢えも乾きも寒さもない、平和で恵まれた世界だ。
そういう世界にいて、銃弾の飛んでこない安全地帯に立って戦争反対だと声高に叫んでも、なんと虚しいことかと思う。
でも、だからこそ言えるぞ。
戦いは虚しい。
こんなことしたって何にもならないのだ。
「まあ、今のは正直全滅したっておかしくねえ戦いだったわな」
「そう見える?」
「うむ。ありゃなかなかの手練だ。あの馬さばきなら、弱ったように見せかけつつ、最小限の損耗で後退……あとはあんたの予想通り、伏兵に襲いかからせる、か?」
「わかっていれば、どうということのない策だとは思う」
というか、深追いは禁物である、というのは割と普遍的な考え方だと思うんだけど、どうなんだろう。
「功を挙げれば、褒美がもらえる。だから競って敵へと向かう」
なるほど。
「おれらは、違うがな。守るもんが違う。失うもんもねえ。焦る必要がねえ。逸る必要がねえ。あんたがいう『そのとき』ってやつを待ちゃあいい」
「それだけ信頼されてるってのは、気持ち悪いなあ」
「なんでえ、失礼なやつだな」
そういって、老兵はガハハと笑う。
「で。まだ次の手があるんだろう?」
頷く。
すでに夕刻。斜め後方を振り返れば、ニルシュヴァール市の向こうに夕日が沈んでいくのが見える。
夕日を背に行軍する荷馬車の群れっていうのは、なかなか壮観だ。
右前方にはワレシュティの森。
左手側には、エルドチ砦へ通じる街道だ。
街道と森との間の距離はここが一番短い。
街道は、敵の補給路だ。
ここを抑える。
「これから森の入り口で野営をするけど、森のなかは敵の斥候が潜んでいる可能性がある」
「そういや、敵が攻めてくるって分かったのは森で斥候を見つけたから、って言ってたか。んなもんよく気付いたな」
「偶然だけどね」
実際偶然だし。
「ま、斥候には気をつけるよう言い聞かせておく」
「ばったり会うときは会っちゃうもんだから、そのときはしょうがないけどね」
森に入るのは、こっちの兵の位置を気取られないようにするためだ。
「しばらくは森に潜んで、資材を用意しないといけないんだったか」
「兵の休息も必要だしね」
「ん……」
隣で寝息を立てていたシャルが身じろぎをした。
「どうやら聖女様のお目覚めのようだぞ」
俺は聖女とか、冗談めかして言ってただけなんだけど、あながち冗談でもないらしい。民兵の士気の高さは、『聖女』という存在によるところが大きい。
確かにシャルには庇護欲を呼び起こす何かがあるというか、守ってやりたい、シャルのために何かしてやりたい、みたいな気持ちにさせるところがある。
「あれ……わたし、寝ちゃってましたか」
あふ、とあくびの漏れる口元に手を当てながら、あたりを見回す。
「もう夕暮れどきなんですね。それじゃ、そろそろ目的地に着きますよね。そんなに寝ちゃってたんだ……」
「疲れてたんだし、しょうがないよ」
無理もない。
俺も正直よく身体が持っていると思う。
おそらくなんだけど、この身体の丈夫さ、神の力の一部なんじゃないか。
アンネは秘密主義だ。俺に隠してることがいっぱいある。
確証はない。
そういう印象はある。
うまくいきすぎている現状にしても……と、以前ここまで考えてやめた。
その気になったらなんでも神の力のせいにできてしまう。
それって危険だ。便利な力があるとそれに頼ってしまいがちだ。でも、もし神の力なんかじゃなくて偶然うまくいってただけだったら、それはかなりマズい。
あるかどうか分からない力を当てにはできないんだ。
「それにしても、すごいですね……」
不意にシャルが呟く。
「すごいって、何が?」
「こうやって、ふだん畑を耕してる皆さんが、軍旗を掲げて、隊列を組んで歩いてることが、です。わたしなんかの言葉で」
「いや、嬢ちゃん。それは違うぞ。わたしなんかの言葉、じゃない。それに、嬢ちゃんの言葉だけで、おれらが戦っとるんでもない」
おれらは、自分たちの国を守るために戦っとるんだ。
老兵は力強く、それでいて当たり前のことのように言う。
「……そうですね。ごめんなさい」
「いいってことよ。そもそもニルシュヴァール軍が頼りにならんのがいかんのだ」
「ありがとうございます」
というやりとりを、俺は微笑ましく思っていた。
そんな場合じゃないとは思うんだけど。
なんかこういうのいいよね。
爺さんと孫みたいな感じで、心が休まる感じがする。
「ところで、トールさん」
「ん」
「今言うことじゃないのかもしれないですし、こないだの陣地もそうでしたけど、あれって、いいんですか?」
「あれって、何が?」
「旗です」
「ああ」
旗。
前方に立ち並ぶ軍旗。
そこに描かれているのは、ニルシュヴァール領の紋章。
ではない。
「おれはまたおもしれえこと考えたなと思ったぜ」
「でも、その、アンテルンの人が知ったら、怒るんじゃないですか? これって、アンテルン軍がマジャロヴャルキとニルシュヴァールの戦争に介入したように見えるんじゃあ……」
どうしてアンテルンの話になったのかというと、だ。
旗に描かれた紋章が、アンテルン都市同盟のものだから。
「そう見えるよね」
「そう見えるな」
「え、ええー……まずいんじゃないですか?」
「アンテルンのほうには、話をしてあるから大丈夫だよ」
「そうなんですか?」
話をしてきたのは事実だし嘘はついてない。
旗に紋章使わせてもらうって話はしてないけどね。
「でも、うっかりアンテルンの紋章背負った人がニルシュヴァール近くに来ると、マジャロヴャルキに襲われるかもしれないね」
「それって大丈夫じゃないんじゃ……」
「アンテルン軍でもないかぎりアンテルンの紋章背負ったりしないでしょ?」
「それは、そうですけど」
「まあ、今日はもう日が暮れるし、ここらで休もう。皆を呼んで、森の中に入って野営の準備だ」
方向を変えて森に入る間も、シャルは納得いかなさそうに、浮かない顔をしていた。心が痛くないと言うと嘘になるけど、だって本当のこと言えないじゃん?
アンテルンに物資の補給を頼みました、なんて。
翌日、ニルシュヴァール城南方面で、アンテルンからの物資輸送部隊がマジャロヴャルキ軍の襲撃を受ける。
アンテルンはこれをマジャロヴャルキからの宣戦布告とみなし、報復戦を開始すると宣言。
オルファ=ソノラに控えるアンテルン軍がニルシュヴァール方面へ進軍を開始。
ニルシュヴァールをめぐる戦況は、泥沼化しつつあった。