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第1章 異世界の神初心者ですがよろしくお願いします
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異世界の神になってちょっと立地見るだけ

14. ニルシュヴァール攻防戦〈後編〉

 開戦と言っても、いきなり大がかりな衝突が起きるわけじゃない。
 櫓の上に立ってやっと敵陣が見えるくらいの距離なので、歩兵が移動するとそれなりに時間がかかる。
 10 km の距離を移動するのに、軽騎兵なら数十分から小一時間程度かかる。
 馬だってずっと速く走りっぱなしにはできないからだ。まして武装した人間を載せているので、無理もない。

 でも、その数十分の時間に何ができるかというと、何もできない。

 ニルシュヴァールまで行ってシャルに演説させて、領民に食糧を引き揚げさせつつ野戦陣地を構築して付け焼き刃のファランクス隊の編成まで済ませ、一方でアンテルンから援軍として傭兵を借りに行って、これを十日間のうちにこなしたんだけど、振り返ってみても超過密スケジュールだ。
 ぎりぎり収まってるだけで、練度には大きな不安が残る。
 編成してちょっと練兵しただけだもんな。
 時間がないからしょうがないし、やらないよりはやっておいたほうがマシだとは思うけど、生兵法は大怪我のもとともいう。
 知らなければ用心するけども、知っていると油断するわけだ。
 肝に銘じたい。

「敵騎兵部隊が接近中」

 見張り員から報告が上がる。

「数は分かりますか?」
「いえ。ただ、3,000 もいないでしょうな」
「少ないですね」

 マジャロヴャルキ軍を総数 10,000 とする。
 補給線を維持するためにも、占領したエルドチ砦に防衛戦力を残しておく必要があるので、砦の守備隊を除いた残りで進軍する。仮に 9,000 としよう。
 9,000 の兵でニルシュヴァールを包囲するなら、川向うの西側を除いた、北方面と東方面、南方面に部隊を配置することになる。あるいは、北東方面と南方面の二か所でもいい。ここに陣を敷いて、攻城戦のにする。
 視認できる範囲だと、ニルシュヴァール城の東側に一箇所だけ。
 つまり南側にはない。北は、あるかもしれないけど見えない。
 俺だったら、川を抑えるためにも北側に陣を敷く。
 ニールス川の上流側は重要な補給路だ。ただ、断絶させるためには南北で抑えなければいけなくて、北を抑えるだけではあまり意味がない。
 ともかく、二分したなら 4,500 だし、三分したなら 3,000 だ。ただ、必ずしも同数で分割しなければいけないわけじゃないから、二か所で包囲するなら北東を厚く、南を薄くするとか、配分を調整することも考えられる。一方を厚めに割り振るとしたら、6,000 くらいだろうか。
 野戦陣地は補給路の確保に必要だから、ここを丸裸にした状態で攻勢をかけるということはありえない。
 6,000 の部隊から 3,000 動かすなら、数字としては、それほど不自然でもない。
 ないんだけど。

「どう思いますか?」
「こっちの戦力を把握できてるなら、せいぜい 1,000 くらいじゃないかなあ」
「1,000 って、こっちよりずいぶん少ないですけど……」
「俺のところには、釣り野伏せっていう戦術があってね」
「釣り野伏せ、ですか」

 正面からぶつかり合うと損耗が激しい。
 まして、こちらは守るための陣を敷いている。
 わざわざ相手が戦いやすい陣内深くに兵を突っ込ませて無為に消耗させることはない。陣から引っ張り出して、自分たちの戦いやすい地点まで誘導する。

「というのが、釣り」
「なるほど、確かに釣りですね」
「で、釣るためには、相手に勝てるんじゃないかって思わせることが重要になる」

 あまり多くの戦力で攻め込むと、釣れない。
 寡兵を囮にして偽装敗走させて、おびき出す。
 確か孫子先生も言ってたな。

「始めは処女の如く後は脱兎の如し」
「しょ、処女……ですか?」

 シャルは少し恥ずかしそうに、もじもじと聞き返す。
 何か変なことを言っただろうか。

「最初は処女のように弱々しく見せかけて油断を誘い、その後は脱兎の勢いで攻めよ、という意味の教えなんだ」
「ええと、つまり……その、トールさんは、弱々しそうにしてるところを、見たりしたことがあるんですか……?」
「え」
「ていうか、ありますよねきっと。あるに違いないですだってトールさんってなんだかすごく慣れた感じしますし距離感絶妙ですし一緒にいて居心地いいですし実際わたしまだですしあっひょっとしてまだなのも分かっちゃうのかもってことはトールさんわたしのことまだだって分かっててこういう」
「わーっちょっちょっと待って待って落ち着いて!」

 ぐるぐる目になりながらすごい勢いで完全に聞いちゃいけないことまでしゃべりだしてるよ!?

「はっ!? わたしはいったい何を……?」

 よかった。
 今なら何もなかったことにできるぞ。

「な、何も聞いてないから安心して」
「は、はい……ええと、何か言ったんですよね?」

 しまった。

「いえ、いいんです……大丈夫です、トールさんが何も聞いてないって言うなら、し、信じます」

 そういってシャルはぐっとこぶしを握る。
 天使か。

「それで、なんでしたっけ、ええと」
「まずはか弱い乙女のように弱々しく振る舞って油断を誘うべし」
「あっ、あー。そうでした」

 一部不適切な表現を改めさせていただきましたことをお詫びとともにお伝えいたします。

「油断を誘って、おびき出すんですよね。その後の、脱兎の如し、ですか?」
「逃げる兎のように迅速に攻勢をしかけるべし……釣り野伏せの場合は、おびき出して、あらかじめ忍ばせておいた伏兵で包囲して攻撃だ」
「野伏せ……が、伏兵のことですか」
「そう」
「あれ……でもちょっと待ってください。それだと、伏兵がいるって思われたらだめですよね」
「そうなんだよね」

 この戦術は、相手に自分たちの勢力が少ないと錯誤させる必要がある。
 そうでなければ伏兵は機能しない。
 エルドチ砦では 8,000 を投入した。
 なので、ニルシュヴァール軍からはマジャロヴャルキ軍総勢 8,000 に見える。
 さて、もしマジャロヴャルキ軍がこれよりも多くの戦力を持っていたら、どうだろう。その可能性は大いにある。『神の視点』で敵情視察をしたときには、ざっくり見積もって 10,000 だった。その差 2,000 は誤差か否か。
 もし実際には 10,000 いる軍勢が 8,000 しかいないように見せかけているとしたら、そこには意図がある。

「兵とは詭道なり。故に、能なるもこれに不能を示し、だ」
「それも、誰かの教えですか?」

 頷いて答える。

「できることをできないように見せよ。戦いは敵を欺くことである。この考えでいくのならば、弱そうに見せかけるのは、実際には力があるからだ」

 その力は目に見えないところに隠されている。
 けれども、力を隠し持っていると分かっていれば、過度に恐れることはない。

「敵、接近! 数 500 の弓騎兵隊!」
「500 か」

 思い切りがよい。
 釣り野伏せは非常に強い戦術に見えるが、弱点も多い。
 あまりに少なすぎる数の戦力を囮にすると、敵陣に仕掛けたはいいものの返り討ちに合う危険性がある。あるいは、その程度の数なら逃がしても構わないと判断されると相手を誘い出すことができなくなってしまう。
 かといってあまりに多くの戦力を投入すると、手強そうな相手と見て、迎撃するのみに留まったり、そのまま乱戦にもつれ込んで互いに損耗が大きくなる可能性がある。あまりに損耗が激しければ、追撃させることはできない。
 だから、釣り野伏せに参加する兵は高い練度を求められる。
 精鋭揃いのマジャロヴャルキだからできる戦術だ。
 こちらの寄せ集め軍ではできない。

 ふと見やると、シャルは元守備隊のおじさんと何やら話をしている。作戦指示の最終確認だろう。
 ほどなくして、おじさんは大きな声で兵たちに命令を飛ばしていく。

「……で、よかったんですよね?」

 自信なさそうに確認を求められた。

「うん。配置は予定通りでしょ、あっちの仕掛けも済ませたし。それだったら後はきっとなるようになるよ」

 とかいいつつ、俺だって自信はない。
 やがて。
 地鳴りとともに地平線の上にマジャロヴャルキの騎兵たちが姿を現す。
 500 の騎兵隊。
 迎え撃つのは、戦いに不慣れな民兵 3,000 。


 ニルシュヴァール城東部に野戦陣地を構築し、破城槌、投石機を組みながら、再度の降伏勧告を送るも、返答は「流れた血の量で決めよ」ということであった。
 愚か者どもめ。

 既に城北部に制圧部隊を派遣してある。西側はもうしばらく時間がかかるが、まずは南側を抑える。
 城南に陣を敷き、包囲網を完成させようと進軍を続けていた我らマハイロ西伐軍であったが、斥候から何やら南東部に不穏な動きがあるらしいとの報せが入った。

「陣地、か?」
「そのようです」
「解せんな」

 戦略上、重要な地形なのであろうか。
 ニルシュヴァール市街からは東に離れている。その東は森で、東西の交通を結ぶ街道があるわけでもない。南には湿地が広がっている。南との通商ならば、ニールス川を使えば良い。
 ふむ。川か。

「運河でもあるのだろうな」
「はっ。どうやら、東西に資材を運搬するための水路があるようです」

 なるほどな。
 森の資源を街に運び入れるための運河を守るために、陣を敷いたか。
 籠城戦になれば、城壁の補修部材は重要な物資になる。石材も木材も、城壁内で調達するのは困難であろう。
 東部には森が広がっている。

 だが、どうにも稚拙だ。
 そうであるなら、なぜこのように目立つ真似をする必要がある?

 高い櫓に、馬防柵、その向こうに槍と大盾を持った歩兵が隊列を組んでいる。
 それより遠くには立ち並ぶ軍旗と天幕が見えた。

 ここにいるぞと喧伝しているも同じではないか。

 補給は隠密裏に行う。
 その程度の考えのないのやもしれぬな。

「敵がいるのなら、叩き潰せ。ついでに物資を頂こうぞ。いつもどおり、やれ」
「ははっ!!」

 いずれにせよ、あのような場所に陣を構えられると邪魔だ。
 城南に進軍する際には、後背を晒すことになる。
 ここを叩いてから、城南に橋頭堡を作る。そのときには、この陣地の物資を頂けばよいのだから、結果的にここを抑えてから進軍するほうが理に適う。
 この陣地を捨て置き、城南を抑えない場合はどうか。
 その場合は、ニールス川を遡って物資がニルシュヴァール城へ供給される。
 西へ渡ってしまえば、南を抑えたも同然だ。しかし、西へ渡るためにニルシュヴァールの南北を抑える必要があるのだ。本末転倒だ。
 であれば、この陣を捨て置く理由はない。
 何、所詮は戦下手が 3,000 人。
 恐るるに足らぬ。
 このとき、老練なマハイロの将は勝利を確信していた。


 いつもどおりの策。
 寡兵を以って、囮とする。
 釣られて出てきたところを、後方に伏せる本体で囲んで、叩き潰す。
 それが我らの常道だ。
 ゆえに、マハイロ騎兵尖兵隊 500 を率いて、騎兵長は進軍する。

「前方、柵あり!」

 迂回すべきか。
 いや、違うな。
 時間稼ぎであろう。
 馬はかように低い柵でも、飛ぶのを躊躇う。
 だがマハイロの馬は違う。
 このような障害物など、物ともせぬ。
 迅速を以って攻めよ。それが我らマハイロの尖兵に課せられた役目である。
 騎兵長は、それをよく理解していた。

「構うな、突破だ」
「はっ——全軍、突破!」
「ヤァーッ!!」

 柵を越えんと、後ろ足を溜めて空中に飛び出す馬。

 その瞬間、馬防柵の奥200先に、突如としての列が生えてくる。その裏には、弓を構えた兵の姿。
 引き絞った矢を、今にも放たんと——、

「撃てぇーッ!!」

 怒号とともに、ヒュンと風を切る音が走って、一斉に矢が飛び出す。
 横殴りの雨のように、矢がマハイロ騎兵らに襲いかかる。

「ぐっ」
「うがっ」

 いかに練度の低い、拙い矢でも、近くから数を放てば充分な打撃力を生む。

ェ、退けーッ!」

 続く号令とともに、弓の射手たちは地面の下へと姿を消す。
 後にはが残された。
 マハイロ騎兵が矢を番え、今まさに射んとした、その刹那の出来事であった。
 それでもその草地に向けて矢を放ったのは、天性の戦闘勘によるものか。
 放った矢が突き立ったのは……人の肩でも胸でも首でもなく、藁束に覆われただった。
 地面から生えていたのは草ではなく、盾に貼り付けられた藁だったのだ。
 自分の放った矢がどうなったか確かめることもなく、マハイロの騎兵は矢を番え、前へ向けて放つ。

「ぐっ」

 矢は、地面から突如生えた藁束の盾を深く貫通し、その奥の何者かに突き刺さる。
 が、決して深い傷にはならなかったろう。
 盾が地面の下へと引き込まれていく。

 マハイロの騎兵長は、眼前を見渡す。
 馬防柵に気を取られて気付かなかったが、柵の向こう数十歩ほどのあたりが、畑の畝のように微妙に膨らんでいる。
 いや、注意深く見なければ気付かない程度のものだ。走っているときに、その違和感に気付けたかどうか。
 ちらと後方を振り向くと、畝の裏側は壕になっていた。
 あちらこちらで、壕に足を取られて転倒し、落馬する味方の姿が見える。

 ここは敵の『城』の中なのだと、そのとき分かった
 これは馬防柵と壕を幾筋も連ねて作られた『城壁』だ。

 向こうで隊列を組む槍歩兵と盾歩兵が、囮。
 いや、そもそも人など、誰もいない……?

「退けッ! あれは、カカシだ!」

 そもそも、なぜ棒立ちになってただ守るだけなのだ? なぜあそこには長弓兵がいない? なぜ矢を撃ってこないのだ?
 違う。撃てないのだ。矢を放つ兵などどこにもいない。
 すべてハリボテだ。
 カラスよけのカカシに、鋤と酒樽の蓋を持たせただけの、木偶が並んでいるだけだ。なぜこんなに近付くまで気付けなかったのか。
 慢心か……?
 いや、それはいい。

「おれたちが、おびき出された……?」

 目的は何だ。マハイロの騎兵長は考える。

 柵を迂回するように、左右に展開して撤退していく。
 否。
 秩序だったではない。
 無様なだ。
 少数を以って、部隊に打撃を加えた後に偽装退却で大勢を引っ張りだすのが、我らマハイロの尖兵の役目であったはず。
 それが、なぜこのように散り散りにしている……?

 左翼側からの撤退を試み、そこで騎兵長は全てを知る。
 ぬかるんだ地面。
 水はけの悪い土地だ。
 馬が足を取られ、思うように進めない。
 もし馬防柵を迂回し、二手に分かれていたら、どうだったであろうか。
 足場の悪いところで、あの壕に隠れた弓兵たちの矢を浴びせられることになる。
 いや、そうではない。
 結果として、今自分たちはぬかるんだ湿地に足を取られている。
 矢を番え、後方からの追撃に備える。

「……?」

 なぜだ?
 なぜ追って来ない?
 これは、偽装撤退ではない、本来の撤退だ。
 であるにもかかわらず、なぜ……?

 周囲を見渡す。陣の逆側、右翼側を見て。
 息を呑んだ。

「な、なんということだ……」

 手勢は 500。少ない数だ。うち 50 余りが柵越えで脱落。200 余りずつ、左右に別れて撤退。
 その右翼側の 200 が、全滅だ。

 ぬかるんだ泥の沼に横たわる馬とマハイロの尖兵たち。
 いや、敵兵の損耗も決して小さくない。
 だが、マハイロの亡骸が圧倒的に多い。そのはずだ。右翼は全滅したのだから。
 多くの人間が死んでいる。

 だが。
 死ぬのは、奴らだけだったはずだ。

 いや。
 奴らの兵力は 3,000。こちらは 500。その戦力差があればこそ、釣り出すことができる。そしてこちらの高い練度があればこそ、潰走することなくほぼ無傷での撤退を偽装できる。
 そのはずだった。
 実際には、どうだ。
 1,000 を壕に潜ませたとして、残りは 2,000 。もし 1,000 が相手ならば、我ら 200 といえど負ける気はせぬ。
 しかし、だ。
 潰走する 200 余りの兵を、2,000 で包囲する。
 しかも騎兵に不利な、足場の悪い地形で。
 練度の差など、容易くひっくり返るのだ。数、地の利、時の運……戦はあらゆる要素によって勝敗が決まる。
 我らは、負けたのだ。

 足場の悪い場所を選んだ時点で、いや、戦いを挑んだ時点で、負けていたのだ。
 しかし、柵を超えて逃げるというのは、確かにあの弓兵たちに背を向けるということだ。
 損耗度でいえば、結果的にはそうすべきだったのであろう。

 それにしても解せぬ。
 このあたりは、これほどまでに水はけの悪い地であったろうか。
 斥候の話では、小麦の生育に適した乾いた土壌のはず。
 それがなぜ……?

 予感に突き動かされるよう、騎兵長は単身で敵陣深くへと赴く。
 危険だとは感じていなかった。敵の気配はまるでしなかった。
 壕に潜んでいた兵も、いつの間にか引き上げたようだ。おそらくは溝を通って移動できるようになっているのだろう。
 陣は、もぬけの殻だった。

 最初から、見せかけだけの陣地だったわけだ。
 騎兵長はしてやられたと唇を噛みしめる。
 そして、何よりも、してやられたと思ったのは。

 水路に一切水が張っていないことだった。

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