西方人は、我らマハロイの民をマジャロヴャルキと呼ぶ。
その意味するところは「マジャロの蛮人」である。マジャロはマハロイが訛ったものであろう。それにしても蛮人呼ばわりとは笑わせてくれる。
我らは確かに都市こそ多く持たぬ。
領域の広さに対する都市の数を見れば、西方の諸国家に比べれば我らのほうが劣るのは事実そうである。
しかし、都市は数ではない。
重要なのは機能だ。機能する都市があればそれで充分なのである。それを理解していないのであれば、程度が知れようというもの。
人は生来理解できぬものを排除する獣である。
獣にとっては未開地からやってくるものは皆、敵だ。
自分たちとは異なる文明が存在し、発展しているという事実を受け入れられないのだ。それゆえに他の文明を蛮人と呼ぶ。
実に愚かなり。
我らマハロイは幾多の文明と接触し、幾多の都市を攻め落とし、自らの領土に組み入れてきた。マハロイは他の文明を知る。他の民族を知る。
知を貴ぶべし。
それこそ、偉大なるアーロイの末裔、マハロイの民の不文律である。
見よ、この脆弱な砦を。
砦とは、防衛拠点である。
高く堅牢な城壁は、突破されぬために設けるのだ。
しかし壁はあくまで壁にすぎぬ。壊すまでもない。梯子をかければ乗り越えられる。門を開けてしまえばただの通路と化す。
故に門を開けさせてはならぬ。壁を乗り越えさせてはならぬ。
だが、見よ。どうだ、この砦の脆さは。
城壁の上に投石器が並ぶが、それを扱う人員が足りておらぬ。弓兵も数えるほどに留まる。これでどう迫り来る軍勢を追い払うつもりか。
敵を壁に近寄らせぬための歩兵がおらぬのも笑いどころであろう。
砦というのは不壊の陣地である。
守るのは領土ではなく、補給点である。領土を守るのは砦ではなく兵である。それを間違えてはならぬ。
彼奴らは戦術を理解しておらぬのだろう。
戦略を理解しておらぬのだろう。
兵站を理解しておらぬのだろう。
だからこそ、かような防備の薄い砦が出来上がるのだ。
だからこそ、かような哨戒の疎かな防衛線が出来上がるのだ。
恐るるに足らぬ。
「我らマハロイの誇りを見せよ! 我らに勝利を!」
「我らに勝利を!」
エルドチ砦が陥落して、マジャロヴャルキがニルシュヴァールに攻め入るまで、一週間から十日程度だ。
そのわずかな猶予のうちに、やれるだけのことはやった。
平原の向こうで、マジャロヴャルキの騎兵が陣形を組んで進軍している。
今ならまだ、黙って見過ごすという選択もできる。
改めて、別に俺が頑張る必要のない戦いだ。
更にいうと、シャルたちワレシュティの森の民が頑張る必要もない。
ニルシュヴァールの農民もだ。
死ぬ気で戦う必要なんてない。恭順の意を示して、相手の要求を受け入れる。そういう選択だってできる。頭が挿げ替えられるだけで、民衆の生活にはそれほど大きな変化はない。
税が重くなるとか軽くなるとかはあるかもしれないが、それは同じ国の支配下にあっても、いずれは起こることだ。
だが、俺は彼ら民衆の力を借りる選択を採った。
だから、もうここで黙って見過ごすというのはなしだ。
俺にその権利はない。
けれども、ここに集まった兵たちは、そうではない。
降りたければここで降りることができる。
降りても構わない。彼らが降りるのなら、ここでやめにすることだってできる。
「トールさん」
シャルがこちらをじっと見てくる。
力強い眼差しだ。
「ここまで来たんですから、やりましょう」
そうだな。
少し弱気になっていただけだ。
勝てるか、勝てないか、とかではなく。
これだけの多くの人間の命を背負わなきゃいけない、という、そのプレッシャーが、ちょっと重いなと思っただけだ。
俺にとってこれはゲームだから、ちょっと重いな程度で済んでいるとも言える。
だから、本当に心苦しいのは、俺がこれをゲーム程度にしか思っていないということだ。ゲーム程度にしか思っていないことに、彼女たちを巻き込んでしまったことが、心苦しい。
マジャロヴャルキの騎兵が向かう先にあるのは、ニルシュヴァール市。
まずはその周辺の村落を支配下に起き、周囲の村から物資を略奪し、補給を行う。
補給しつつ攻城用の陣を敷いて、攻城兵器を組み上げ、それからニルシュヴァール城壁を陥落させるべく進軍を開始する。
いずれかが欠ければ、進軍は困難になる。
それはそうだ。
エルドチに現れたのは 8,000 だったか。俺が確認した数より少ないけれども、ともかく数千の軍勢を率いて移動するというのは、ただそれだけで金を食い続ける。
物資を消費しながら移動を続けるのだから、補給しなければいけない。
一度に運ぶことができる物資の量には限界があるから、途中で補給をしなければ遠征は不可能だ。遠征には補給が必須になる。
後方から補給部隊に物資を運ばせるのは、それだけで金がかかる。
現地で物資を買うのはやはり金がかかる。
だから一番いいのは現地で金を払わずに調達する、つまり奪い取ることだ。
あるいは支配下に組み込んで税として納めさせてもいい。この場合は相手に反感を抱かせなくて済むから、より効果的だ。
ニルシュヴァールの場合は、周辺村落は全てニルシュヴァールの支配領域にあるから、この手は使えない。そうなると奪い取るのがいいとなる。
だったら、奪えなくしてしまえばいいだけのことだ。
というわけで、俺は物資の大半をニルシュヴァール市壁内に引き上げさせることにした。すると、背後からの補給に頼らざるを得ない状況になる。
そうしなかったときのことはあまり考えないことにしている。
そうするだろうなと思ったのは、モンゴル騎兵が東欧に攻め入ったときには、そのようにしたと言われているからで、俺が騎馬民族を率いているなら、同じようにするんだろうなあと思ったからだ。
もしそうでないのなら、それはあまり脅威ではない。遠征は補給線を維持するのが困難だ。長期に渡る戦いは上手くいかない。
兵は拙速を聞くも、いまだ巧久なるを睹ず、だ。
孫子先生もそう言っている。
脅威なのは、その圧倒的な進軍速度であり、それを支えるのは、効率的な補給だ。高度な兵站こそが恐ろしい。
補給線を維持するのは難しい。
マジャロヴャルキにとってはさいわい、エルドチ砦という要所を抑えてあるので、ここを経由すればいい。
大きな余剰戦力があるので護衛にも不安はない。
やはりニルシュヴァールに勝ち目ないんじゃないかとまで考えたくなる状況だ。
マジャロヴャルキにしてみればこの気を必勝とみて進軍してきたのだから、負ける要素がないのはそうだ。様々な状況を考慮した上で勝ちを見出したのだ。これがなければ勝てない、というような状況では攻めて来たりはしまい。
さっきも言ったように、長期戦で勝つのは難しい。
だから、俺がすべきことは、ひとつ。
この戦いは簡単には終わらないぞと相手に分からせることだ。
「シャル」
「はい」
「それじゃ、始めよう。
ニルシュヴァールを取り戻す戦いを」
「……はい」
その前に、どうやって俺が 3,000 もの兵を集められたのか、ということを説明しておく必要がある。
一週間前に遡る。
ニルシュヴァール市壁外縁部のスプロール地帯にある大市場、その一画に人だかりができている。中心にいるのはシャルだ。
その緑の髪と、先の尖った耳をさらけ出して、そこに立っている。
少なくない好奇の視線にさらされながら、彼女は口を開く。
「皆様に伝えなければいけないことがあって、ここにやってきました。
先日のことです。わたしは、主の御声を聞きました」
民衆がざわめく。
シャルはあえてそれを制することはせず、ただ黙って、彼らを見渡しただけだ。
それで「続きを聞いてください」と、そう伝わった。
「主は言いました。
汝の住まう都を、やがて東夷が侵略する。
汝の都は戦いに破れ、滅びるであろう。
汝の都とは、ニルシュヴァールです。
東夷とは、東方に潜む脅威です。わたしたちにとっての東方に潜む脅威とは、なんでしょうか。
かつて、この周辺一帯は、東方からの侵略者の脅威に晒されてきました。ニルシュヴァールに高い城壁があるのも、周辺の村々に塀があるのも、元々はそのためです。彼らと戦うために、それはあるのです。
彼らとは、何者か。
それがかつてこの地を脅かした東方民族、マジャロヴャルキです。
ニルシュヴァールが、マジャロヴャルキによって滅ぼされる、と主はお告げになったのです。
今、ニルシュヴァールは危機に瀕しています。
エルドチ砦前に、マジャロヴャルキの軍勢が現れました。
まだ戦闘は始まっていません。ですが、時間の問題でしょう。
この戦いで、ニルシュヴァールは負けます。
エルドチ砦が陥落するという意味ではありません。
このニルシュヴァールが、ロ帝国辺境領ニルシュヴァールからマジャロヴャルキの領土へと変わるという意味です」
シャルはそこで一旦言葉を区切る。
負ける? ニルシュヴァールが?
ロ帝国の精鋭騎士が負けるのか?
マジャロヴャルキって、東方の蛮族だろう?
ざわつく民衆を前にして、シャルはゆっくりと息を吸い込み、静かに吐き出す。
深い呼吸で心を落ち着ける。
覚悟を決めたのだ。
「わたしは! ニルシュヴァール領民の皆様に問いかけます!」
その華奢な体から、凛とした芯の強い声が響く。
「領主が変わって、治める国が変わっても、わたしたちの暮らしはきっと変わらないのでしょう。昔と同じように畑を耕し、麦を育て、パンを焼き、酒を作り、羊を追い、服を縫い、チーズを作って、この先も生きてゆけるのでしょう。
ですから、わたしはロ帝国領民の皆様に問うのです!
ロ帝国の領民であることを捨てて生き長らえることを、わたしは決して責めません。それを誰が咎めることができましょう。
ですが、わたしは、ロ帝国領民であることを誇りに思っています。
わたしはご覧のとおり、人間ではありません。
魔女です。あなたたち人間とは、別の種族です。けれどもこのニルシュヴァール領はわたしをあなたたち人間と同じように受け入れてくれました。
皆様が受け入れてくださったのです。
わたしたちは、同じニルシュヴァール領民であると。
この誇りを、わたしは決して捨てたくありません。
皆様にも、捨ててほしくはないのです。
これまでと同じように、わたしと一緒に、畑を耕し、麦を育て、パンを焼き、酒を作り、羊を追い、服を縫い、チーズを作り、生きてゆきたいのです。
このニルシュヴァール領民として!
ですから、どうか、わたしのわがままを聞いてください。
このままでは、ニルシュヴァールは負けます。
わたしは魔女です。
その魔女が、主の御言葉を授かったなどと言えば、異端の嫌疑をかけられても仕方のないことだと思います。それでも言わせてください。
ニルシュヴァールは、負けます!
それが主の御言葉です。
魔女であるわたしが主の御声を聞いたことにはきっと意味があるのでしょう。
ニルシュヴァールが負ける。では、わたしは何をすべきなのでしょうか。
ここから逃げよということなのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
魔女であるわたしが、皆様にこの事実を伝えなければいけない。
何のために?
ニルシュヴァールを、守るためにです。
これはそういう試練なのでしょう。
わたしは、その試練を乗り越えなければいけない。
石を投げたいものは、投げてください。
わたしは、それでも皆様に乞います。
ニルシュヴァール領民の皆様に!
ニルシュヴァールを守る戦いに、参加してほしいのです!
魔女であるわたしとともに!」
そういってシャルは、頭を深く下げる。
集まった民衆は、誰一人言葉を発することができずに、ただ呆然とシャルを見ているばかりだ。
誰一人として、シャルに罵声を浴びせたりなどしないし、石を投げようとするものも、どこにもいない。
そりゃそうだ。
シャルはこの街の住人として受け入れられているのだ。
たぶん、この街に住む人たちは、あの酒を作ったのも、ハムも、パンも、サワークリームも、シャルがもたらしたことを知っている。
豊かな食事をもたらした彼女を、人間でないからと排除しない、そういう優しさと現実的な打算がこの街にはある。暖かくて生温い街だ。
ここに教会の人間がいれば、異端だと声を上げたのかもしれない。
いや、結局は上げられなかっただろう。
ニルシュヴァールの民は、ニルシュヴァールの民であることを放棄してまで生き延びようとは考えていなかった。
彼女の言葉に動かされたのだ。
そんなさなかにあって、彼女を異端だと糾弾できるだろうか?
領民にとっては、教会の庇護よりも明日の糧のほうが重要だ。しかしそれ以上に、領民としての誇りこそが大事だ。
だから、領民の誇りを守ろうとする彼女を教会の教義の元断罪しようとするのなら、領民たちはむしろ教会の人間に石を投げるだろう。
彼らは、東方の異民族に従属する屈辱を負わされるのならば、武器を手に立ち上がることを選んだのだ。
選んでくれてよかった。
選んでくれなくてもよかったのだけれど、そのときはまた違うシナリオになっていた。そっちは俺としてもあまり気乗りしなかったから、こっちを選んでくれて本当によかったと思う。
やがて、喝采が、シャルを包む。
皆が手を上げ、唸り声を上げ、ニルシュヴァールを守れと叫ぶ。
思った以上だった。
いや、俺も驚いている。
台本以上の演説だった。
俺が用意した中二マインドにあふれる台本の 1,000,000,000 倍……いや、茶化すのはよそう。
彼女にこんなことをさせたのは俺なのだから、俺には責任がある。
こうなるっていう確信があったわけじゃない。
ただ、確信はなかったけれども、こうなってほしいと仕向けたところはある。
シャルの演説の骨子は、だいたい俺が考えたとおりだ。
フランス救国の聖女ジャンヌ・ダルクは、ただの村娘だった。
ただの村娘にすぎないジャンヌがどうして軍を率いることができたのか、考えてみれば奇妙な話だ。といっても、最初から疑問を感じていたわけじゃない。中学の頃は、中ニマインドがあったので気にならなかった。高校に入って世界史に対する理解を深めていって、そこでこれはとても奇妙なことだと気付いたわけだ。
気になって調べたので、よく覚えている。
人間、興味のあることは忘れないものだ。
もちろん、ただの村娘が軍を率いるなんて、フィクションの中ではさほど珍しくない。というより、平凡な人間が英雄になる方がドラマチックなのだ。現代のフィクションではね。
ただしジャンヌ・ダルクは実在の人物であり、英仏百年戦争は実際に行われた戦争である。
文献の記述の全てが事実かどうかは確かではない。いくらか脚色はあるだろう。
それでも、彼女がただの農夫の娘だったこと、百年戦争の重要な戦いに参加しイングランド軍を退けたこと、シャルル七世の戴冠に貢献したこと、少なくともこれらは事実だと考えられている。
実はジャンヌが高貴な身分の血を引いていたとか、逆に作り話っぽいでしょ。
で、ただの農夫の娘がどうやって王太子シャルルに会うことができたのか、だけれど、それほど複雑な話ではない。コネを作ったのだ。
ジャンヌは王太子派の守備隊長らを説得し、自分の味方につけた。
どうやって説得したのか?
説得できるまで根気よく通い続けたという話だが、決め手になったのはニシンの戦いの敗北を予言し、これを的中させたことにあるだろう。
これが彼女の軍事的知見の深さによるのか、あるいは神の声によるのか、それは分からない。しかしどちらでもよかったと思う。
亡国の危機に瀕していたフランス王家にとっては、そのような奇跡的な出来事が起きたという事実が重要だった。彼女は、神が遣わした救世主なのだ、と。
ジャンヌ・ダルクは文盲であったというし、無学な農民であったのは間違いないと思っているのだが、彼女が強い意志と信念を持ち、きわめて優れた思考力を有していたというのも、おそらく事実なのだろう。
そうでなければ守備隊長や王太子の説得など叶うはずもないし、いかに神託を授かった聖女だろうとでたらめな提案を軍が何でもかんでも受け入れたとは思えないんだよな。
シャルがジャンヌ・ダルクに匹敵するほどの神性を持っているかというと、それはどうだろう。
むしろ忌避されるべき存在のような気はする。
ニルシュヴァールの状況は、百年戦争時のオルレアンほどは逼迫していない。
別にニルシュヴァールが陥落してロ帝国が滅亡するわけではないのだから。
ただ、領民にとってこの都市に対する思い入れが、思っていたよりも強かったのだと思う。
それは何となく分かる。
あの酒場の主人、この地の特産品を注文したら、めちゃくちゃ嬉しそうだったもんな。酒を作ったのが魔女だって俺に教えるときの、いたずらを思いついた悪ガキみたいな顔だよ。
だから、ああ、たぶん大丈夫だ、とは思っていた。
彼女はたぶんこの街に受け入れられている。
一歩間違えば、シャルは石を浴びることになっていたのだけど。
それでも彼女は、俺の頼みを聞き入れて、この役を買って出てくれたのだ。
頭が上がらない。
けれども、彼女は知っていたのだ。皆が自分の話をきっと聞いてくれると。
領民たちも、その信頼に応えようとしてくれたのかもしれない。
ともあれ、こうして俺は 3,000 の兵を集めて、この戦いに臨むことができた。
彼らの預けてくれた命を、決して無駄にはできない。
だからはじめようじゃないか。
聖女シャルティレーエトとの旗のもとに、ニルシュヴァールを取り戻す戦いを。
それにしても、聖女シャルティレーエト。
いい響きだ。よさがあるな。
……え? ニルシュヴァールを守る戦いじゃないのかって?
いやもう無理でしょ。もうほぼ包囲されてるし。これから守るのは無理ゲーよ。
今俺たちがいるのは、マジャロヴャルキ軍の左後方、方角で言えばニルシュヴァールの東部、マジャロヴャルキ軍の南側にいる。
これから俺達は、マジャロヴャルキの補給部隊を叩く!
マジャロヴャルキがもう戦いたくないですって言うまで、ニルシュヴァール城壁が持ちこたえるのを祈ろうな。
無理っぽいけど。