城塞都市ニルシュヴァールは、敵勢力の侵攻を受けようとしている。
事態が切迫している中、俺は突如意識を失い、神の力の大半を封印され、長く休息を取る羽目になってしまった。
休んでいた期間は意識を失っている間も含めて十日。騎馬民族が進軍するには充分な日数。
交信できずアンネとは連絡がつかない。『遠見』も門を開くこともできず、残された力は『意思の疎通』のみ。
状況は差し迫っている。
「さあどうする?」というのが、前回までの神立地。
……。
合衆国の大人気合唱部ドラマ仕立てにしても、ひとり。
アンネがいれば突っ込みを入れてくれるのになあ。さみしいよね。
さて、今すべきことを整理する。
シャルの提案は、街にこの情報を知らせましょう、ということだった。
この提案にはいくつか問題がある。
まずひとつは、
「この情報を伝えて、信じてもらえるかどうか」
「……そう、ですね。信じてくれないですよね」
どこの馬の骨ともしれない旅人と、異種族の少女の言うことが、どの程度受け入れられるだろうかということである。
間違いなく分かっているのは、本当にこの情報を届けなければいけない相手には届かないということだ。
本当にこの情報を届けなければいけない相手というのは、最終的には決済権のある人間、つまりニルシュヴァール辺境伯ミクシャ二世のことを言っている。
もちろん直接会うなんて無理に決まっているので、文官でも武官でも構わないけれども、ミクシャ二世に具申できる立場の誰かまで話を持っていくことが必要になる。
そんな地位の人間ですら、直接会うのは不可能だ。
こちらから何もしなくても、いずれは情報は伝わる。
辺境警備で哨戒中の兵が情報を持ち帰って早馬で伝令を寄越してくれれば確実に伝わる。ただそれでは遅すぎる。
彼らが動くということは、敵勢力と接触寸前の状況ということだ。
伝令が届く頃には、接触してしまっている。これは遅すぎる。
まだ問題はある。
「伝令が届くのは遅すぎるとして、俺やシャルが今から街に行って状況を伝えるのも、やはり同じように時間がかかる」
伝令を待つよりは速いというだけで、手遅れの可能性は大きい。
「それでも、伝えない理由にはならないですよね」
「さっきも言ったように、この情報を伝えて信じてもらえるかどうかという問題があるから、行ったところで無駄足になるかもしれない。やらないよりはまし、というのは、時間があるときの話だ。時間は有限で、状況は一刻を争う」
「でも……」
シャルはなかなか納得できなさそうだ。
でも、時間が有限なら、優先順位をつけなきゃだめだ。
「彼を知り、己を知れば、百戦危うからず」
「それは、なんですか?」
「昔の人が残した教えで、敵について調べ、味方について把握すれば、百度戦っても負けることはない、という意味がある」
「それくらい情報が重要、ということですね」
さすが、シャルはよく分かってる。
「でも、それが何か……?」
「俺はニルシュヴァール辺境方面軍の戦力について、ほとんど把握していない。そして、困ったことに、敵情視察といっても、ちょっと様子を見てきただけだから、敵勢力の数も把握できていないんだ」
「ええと、その教えでは、敵味方いずれについても知らないときは、どうなるって言われてるんですか?」
「必ず負ける」
「え」
「敵についてのみ、味方についてのみ知っている場合は、勝利は安定せず、勝ったり負けたりする。それくらい情報が重要、ということなんだ」
「じゃ、じゃあ、負けないためには最低でも味方について知らないといけない、ですか?」
俺は頷く。
もっとも、敵味方どちらの情報も、全く知らないというのは嘘だ。
騎兵主体の軍勢で、数はたぶん、10,000 を越える。
対するニルシュヴァール市の人口は 3,000 人。
これが意味するところが分かるだろうか。
周辺の農村地帯を含めて 30,000 人程度。常備戦力は人口の 1 % 程度までしか保持できないと考えていいので、兵力 300 だ。
民兵を動員すれば 10 % くらいはいくかもしれないが、練度に難がある。
予備役があればよかったのに。といってもこの文明水準だと期待できそうにない。
今の戦力差では、どうやっても勝てない。
今の戦力差では、どうやっても勝てない、ということを正しく理解せよ、だ。
もちろん帝国辺境領をニルシュヴァールだけで守らなきゃいけないわけがない。帝国領を守るのは、帝国軍の役目である。周辺の領地に、帝国軍として、援軍を出してもらうことになるだろう。
それでも 10,000 人集まるまで、持ちこたえられるかどうか。
幸いニルシュヴァール市は堅牢な作りをしている。騎兵は城攻めには不向きである。このあたりを踏まえれば、守りきれないことはない。
かもしれない。
なにせ、敵は騎兵だ。進軍の足は速い。
援軍を待たずしてニルシュヴァールが陥落する可能性は非常に大きい。
考えれば考えるほど、手詰まりに思える。
待て待て。
ネガティブになるな。
できないことが多いということは、できることは少ないということだ。やるべきことが分かりやすくなっていいじゃないか。
問題点が見えているなら、まずはそれを解消する。
「時間が限られているからこそ、限られた時間の中で、よりよい手を打たなきゃいけない。でも、状況は最悪に近い。打つ手がほとんどないんだから」
「だったら、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」
ああ、そうか。
シャルは不安なんだ。
そりゃそうだ。自分たちの住む場所が脅かされようとしている。
俺はどうか。
言うまでもなく、俺は部外者だ。
部外者ではあるけれども、シャルはもう単なる見ず知らずの他人ではないから、傍観者に成り下がるわけにはいかないんだよな。看病してもらった恩もある。
だから、考えるし、考えたから、打つ手はある。
完全な手詰まりなら、ここまで落ち着いていられない。
「一応、考えはあるよ。うまくいくかは自信がないけど」
ただ、この手で本当にいいんだろうか?
三日かけてニルシュヴァール市城門までやってきた。途中で空中回廊で休憩できないのはとてもつらかった。
この三日間を無駄にしないために、シャルには森に残って仕事を頼んである。
つまり今の俺はぼっちだ。
アンネとも連絡が取れない今、真の意味でぼっちになったわけだ。
でも、もともとこの夏休みは親も妹もいない一人暮らしの自分だけの部屋で一人っきりで朝から晩まで文明の興亡を見守り続ける遊びをする予定だったんだ。
つまり元通りぼっちに戻っただけ。
身軽でいいじゃないか。
俺は意気揚々と門番に声を掛ける。
「ヘイヨーグッツスッス!」
「……?」
何言ってんだこいつって顔された。
おかしいな。俺が知ってる衛兵はこうやって挨拶をしてくれるんだけど。
コホン。
気を取り直して懐からデナール銀貨を一枚取り出して、渡そうとし。
「いや、銀貨は二枚だ」
「え?」
「なんだ、知らないのか? この間値上がりしたんだ」
俺の断りもなしに勝手に増税しやがってふざけんな!
「このところ行商人の数が少なくてな。臨時の増税なんだと」
なるほど。
なんでまた行商人の数が減ったんだろう。
「手形持ちもあんまり来てないし、近隣で不穏な動きでもあるのかね」
「手形持ちって、常連の?」
「ああ。まあ税は前納してるから来ようが来よまいが税収には繋がらんから、関係はないけどな。いつも来てるやつが来ないってのは、どうも違和感があってなあ」
「それ、他の人も気付いてる?」
「ああ、守衛役はだいたい知ってるし、街の中で商売やってるやつもだな」
なるほどね。
シャルにお願いした頼みごと、あんまり意味なかったかもしれないなあ。
でも、それならショートカットできそうだ。
「ありがとう。これお礼ね」
デナール銀貨二枚に、オーレ丹銅貨を一枚オマケで渡す。
チップというか、情報料だな。
「あんた、話が分かるやつだな」
「それはどうも……ああそうだ」
俺は声を潜めると、なるべく悪いことを考えてそうな顔をつくろって尋ねる。
「話が分かるついでに、こういうのが好きな役人って誰かいる? 知ってたら教えてくれると嬉しいんだけども」
デナール銀貨たくさん持っててよかった。重かったけど。
重い銀貨持って 100 km の歩け歩け大会とかさすがにマゾすぎる。
でも苦労した甲斐はあった。
領主ミクシャ二世との謁見許可が得られた。
賄賂のおかげで。
城門で徴税していた衛兵から聞き出したチョロいお役人さんは、本当にチョロかった。まさか領主に謁見できるとまでは思っていなかったし。
せいぜい、よくて補佐官止まりだろうと思ってた。
もちろん、補佐官止まりでも領主に具申してくれればそれで充分だから、そこまで望んでたわけじゃないんだけど、話が早くて困ることはない。
賄賂プランが上手くいかなければ、地道に攻め込まれそうだって噂を流して、向こうから接触してくるのを待たなきゃいけなかったから、そうならないで済んだのはよかった。ラッキーだった。
と、思っておこう。
そんなわけで、領主の館……というか城だな。
城にいる。中世風の城だ。
外観は TES で見たやつの 1,000,000 倍くらいリアルで感動したんだけど、内装は意外と普通というか質素なもので、まあこんなものか、と思ってしまった。
「入るがよい」
執務室に通される。
「失礼します」
「よい、楽にせよ」
「は」
「面を上げよ」
ミクシャ二世は、思っていたより若かった。
二十代後半くらいだろうか。いや、彫りが深いから老けて見える可能性はある。二十代半ばとか、ひょっとすると前半かもしれない。二十前半って、先輩とそう歳変わらないってことだよな。
そう思ったら、緊張がほぐれた。先輩よりたちが悪くて面倒な相手はいない。
「貴様か。見慣れぬ異民族の男というのは」
ヒッ。
緊張がほぐれるわけないだろ。
めちゃくちゃ威圧感あるぞ。背中にめっちゃ変な汗かいてる。大学の面接のときの 1,000,000,000 倍くらい緊張してるしおしっこ漏らすまである。
「なるほど、確かに見慣れぬ異民族の男だ。髪も瞳も夜闇のごとく黒く、肌は生白い。起伏のない顔の造形。このような民族、見たことがないわ」
こう、彫りが深くて体格のいい偉丈夫にじろじろ見られるのは、妙な気分になるよな。いや、俺はノンケだ。勘違いしないでいただきたい。
「それにしても、何を考えておるのか分からぬ顔だ。ジュラが警戒を抱くのも無理はないな」
はい、何も考えない顔なんです。
割と余裕があるように見えているのかもしれないけれども、ぼくはもうおうちに帰りたいだけなんです……。
と、
「私は今でも反対ですよ、閣下」
ミクシャ二世の傍らに仕える男が不快感たっぷりにこちらをにらみつけてきた。
歳は三十か、四十までは行ってなさそうだけれども、神経質そうな顔つきで、やや老けてみえる。二十代後半かもしれない。
ジュラと呼ばれたこの青年、補佐官か何かだろうか。
たぶんそうだ。領主の側仕えだから、それなりの地位になる。
この補佐官をすっ飛ばして領主と謁見って、ちょっと異常な気はするな。
「よい。面白いではないか。こうもあからさまな賄賂の使い方など、初めて見たわ。笑わせてもらったぞ」
「ですから危険だと申しているのです!」
「ジュラ……貴様はもう下がってよいぞ」
呆れたようにため息をひとつついて、ミクシャ二世は手をひらひらと振ってジュラに退室を命じる。
「閣下……」
もう勘弁してくれ、という色がにじみ出る声だった。
いやいやいや、勘弁してほしいのは俺の方だ。何が悲しくて領主とふたりっきりにされなきゃいけないんだ。頼むから一緒にいてくれ!
と思うも、ジュラは渋々執務室から出て行く。
出るときにこっちを睨んで舌打ちをくださった。
俺が他国の外交官だったら国際問題だぞ。
まあ、そんなわけないから関係ないんだけど。
「さて」
二人っきりになったね(ハートマーク)。
という展開にはならず、ミクシャ二世は打って変わって引き締まった表情でこちらを見る。
「なりふり構わず役人を買収してまで、我に会おうというのだ。何か用向きがあったのではないか」
「は。それでは、このような場での作法に通じていないことを、あらかじめお詫び申し上げ」
「よい。気にするな。好きに申せ」
「東に不穏な動きあり。数は 10,000 と見ます」
ミクシャ二世は、一瞬目を見開いて、すぐに平静どおりという顔を作った。
「ご存知でしたか?」
俺の問いかけには、首を横に振るだけだ。
やがて額に手を当てると、ため息を漏らして、自嘲気味に呟く。
「そうか。敵か……それも 10,000 ……我はつくづく神に見放されているわけだ」
「あの」
「待て。それはいつの話だ?」
「半つ……十四日ほど前です」
半月と言おうと思ったけれども、よく考えるとこの世界の暦についてちゃんと把握してなかったことに気付いた。迂闊すぎる。
「十四日前か。そうなると、そろそろ動き出している頃合いだろうな」
この都市の運営ガバガバだと思ってたけど、思ったより話ができそうだぞ。
って、そりゃそうだ。無能な人間が辺境伯領を任されるわけがない。
「ジュラ」
「は」
「急ぎ帝都へ伝令を送れ。もちろん早馬でだ。ニルシュヴァールはこれより交戦状態に入るとな。周辺の都市への援軍要請も忘れるなよ」
「は、ただちに。ですが、そのようなものの言うことを信用なさるので?」
「我は、勘だけはよい。政治の才覚には恵まれなかったがな」
「ご謙遜を」
「世辞はよい。それより、まだこの男には聞きたいことがたくさんある」
「それでは、伝令の件、進めて参ります」
「頼んだぞ」
ジュラは執務室を飛び出すなりすぐ「人を集めろ! 緊急だ!」と怒号を上げ、人を呼びつける。
はえ~。
無能どころか有能なんじゃないか? いや、仕事してる人間なんかスクリーン越しにしか見たことないから、正しい評価は俺にはできないけども。
頭は柔軟そうだから、こういう人間の下でなら働きやすそうな気はする。
実際、部下の信頼は厚そうだし、あのジュラって補佐官も優秀そうだぞ。
辺境伯というのは、辺境の伯爵という意味じゃない。
実際の権限は伯爵より上だ。
それは、辺境の領土防衛という責務を背負っているから、というのもあるけれども、それだけの能力のある人間でないとそもそも任せられないし、それだけの能力のある人間には相応の報酬が必要でもある。
「貴様、名は何と言う」
「トール。トール・ヤガーシと申します」
「トール……それは、貴様の家名か?」
「いえ、家名はヤガーシの方にございます」
「そうか。では、ここではヤガーシ・トールと名乗れ。貴様の故郷ではどうか知らんが、ここでは家名を先に名乗るのが普通だ」
ああ、だからシャルにもトールが家名か?って聞かれたんだな。
日本もそうだし、確かヨーロッパにもそういう文化の国があった気がする。どこだっけな。チェコだっけ、ルーマニアだっけ。思い出せない。
「しかし、その辺りにも疎いとは、ますます面白い男だ。どこから来たのだ?」
ええー……どういっていいんだろうな。
「……遥か東にございます」
「そうか、遥か東か。貴様がそういうのなら、そういうことにしておいてやろう」
だが、と声を低くして、ミクシャ二世は言う。
我でなければ首が飛んでいたやもしれぬぞ。
……。
「冗談だ」
と、ニヤリを口の端を歪めた。
冗談に聞こえねえよ!
ちびるかと思っただろ!
っていうかちょっと漏れ……いや、大丈夫だ。出てない。
「冗談だが、貴様の冗談は笑えぬな。遥か東など、人の住む地ではないと聞く。人の住む地でないのなら、貴様は人ではないのかもしれぬな」
あー。
まあ、確かに。神だし、人じゃないのはそりゃそうよ。
言っても信じてもらえないんだろうけど。それならよっぽど遥か東から来たってほうが信憑性がある。……と思う。
でも、そうなんだ。人の住む地じゃないんだ。
大陸の地図とかあったらほしいなあ。
ただ、この世界で広域の地図がどの程度の精度で作れるのか、っていうのは疑問があるけども。
「中央の方は、名を先に、家名を後にする風習があるが、しかしこの辺りでは別だ。ついでにこれも覚えておけ」
「は」
なんというか、面倒見がいいのか?
見かけによらず、お人好しなんだろうか。
堂々とした振る舞いをし、その実、面倒見がいい。
うん、なんか最初の想定と違う。この領主、ちゃんとした領主だ。
でも、ちゃんとした領主に、使える人材がいて、どうしてこんなに外敵に対する緊張感がないんだろうな。
ひょっとしてそう思ってるのは俺だけで、これでもちゃんと防備を整えてるってことなのか?
それにしたって、哨戒も偵察もこんなにゆるゆるってのはおかしい。
防備もちょっと期待できなさそうだ。軍備についてはちゃんと見てないからなんともいえないけど、ひとつ確かなのは、砦までいくらなんでも遠すぎる。
中継点に小さな町を作るべきだ。
少なくとも、ニルシュヴァールの城壁外に建物を溢れさせてる場合じゃない。
確かに常備軍を維持するのは大変だ。装備を揃えるにも練兵にも金がかかるし、なにより余剰に生産力が必要になる。
それは分かるけれども、ちょっと弛みすぎだ。
そのへんも聞いてみるか。
「無礼を承知で、伺いたいことがあります」
「言ってみよ」
「なぜ、この辺境領は、これほど防備が手薄なんですか?」
「手薄と思うか」
「はい。攻めてくれと言っているようなものかと」
「そうであろう。だからこそ、攻め込まれつつあるのだ」
「分かっておいででしたか」
「いや。攻め込まれると聞いて自覚を得たところだ。恥ずかしい話だがな」
だめじゃん。
「……我は、戦は嫌いなのだ」
意外だった。
もっと好戦的なふうに見える。
「意外そうな顔をしているのだな」
「ええ、正直」
意外なのは、風貌の武闘派っぽさよりも、そのへんの判断はもっとしっかりできるんじゃないかと評価してたからだ。
戦争が嫌いだろうと防備を固めるのは、いや、むしろ戦争が嫌いだからこそ防備を固めるべきだろう。
ノーガード戦法なんかしたら、すぐチンギス・ハンに攻め込まれるぞ。
……ん? チンギス・ハン?
モンゴルに?
スキタイ?
スクトゥム歩兵……?
「閣下。提案がございます」
「言うてみよ」
手、あるじゃん。
「私を軍師として雇いませんか?」