敵対勢力が攻めてきているかどうかは、こちらから斥候を出して、情報を持ち帰るか、辺境警備からの連絡が届くか、そのあたりでわかる。
もちろん送り込んだ斥候が情報を持ち帰ってきたときのほうが早く対応できる。
あらかじめ送り込んでいれば、だけれども。
「このあたりって、どれくらい前から攻めこまれてないか分かる?」
「わたしが生まれるよりずっと前から、大きな争いはなかったみたいです」
そうだろうと思う。
都市の城壁の外にスプロール地帯が広がるっていうのは、そういうことだ。
敵に攻め込まれる不安があったら、あんな無防備なところに家を構えようなんて思わない。
ということなので、今のニルシュヴァールの統治は、ガバガバだ。
ガバガバのガバナンスだ。
……。
『トールさま……』
それくらいの余裕を持ちたい。
もちろん、ガバガバだからこその都市の発展でもある。
『でもそうだとするなら、相手にとっては今が好機ということになります』
そうなんだよ。
ガバガバってことは攻めやすい。
当然、斥候を出して哨戒したりっていうのも期待できない。
この機会を逃すわけがないから、向こうの斥候がいつ頃戻ったかにもよるけど、たぶん行軍の準備を進めているか、ひょっとするともう進軍しているかもしれない。
『ですがトールさま。例の野営跡が敵対勢力の偵察の痕跡であるとまだ決まったわけではないと思います』
うん?
『斥候が自分がいた痕跡を残したまま立ち去るでしょうか。少々不用心なのではないかと思いますが』
言われてみれば、確かに。
『もちろん、あれがただの旅人のものだと考えるのも楽観的すぎるでしょうね』
可能性を考え出すときりがない、か。
『はい。ですから、ご自分の目で確かめるのがよいかと』
確かめるってどうやって。
『お忘れですか? トールさまは、神さまですよ』
そうだった。
俺、神じゃん。
『遠見』で様子を見てくればいいんだ。
『その場合、彼女にはトールさまが神であることを打ち明けることになりますね』
様子を見てくるだけなら、ちょっと外出るっていって見てくればいい。力のことまで説明する必要はない。
でも、見たことをどうやって説明する?
「理由は言えないけど、分かるんだ!」って、それで信じてもらえるわけがない。
もちろん彼女にだけ能力のことを話しても、あまり意味がない。
少なくとも軍を動かせる程度の地位の人間に、この危機的状況について知ってもらわなければいけない。そんな人物と話せるほどの信用や人脈は俺にはないし、たぶんシャルにもない。
一番話をしなくちゃいけない相手は、多くの人々を経てようやく辿り着けるところにいる。
けれどもそれと同時に、俺は、俺が信用できる相手にしか、俺の立場、俺の能力について話しちゃいけない。
俺はこの世界の住人を導くために降りてきたのであって、この世界の住人に利用される道具として降りてきたわけじゃない。
それだけの腹芸ができる人間でもない。
ただの大学生だ。
だから、見ず知らずの誰かよりは、今目の前にいるシャルの方が信用に値する。
ゆくゆくはそのつもりだったんだ。
踏むべき順序をすっ飛ばすことになるのは遺憾ではあるけども。
「シャル」
「な、なんですか……?」
シャルの顔には不安の色が浮かんでいた。
「これから言うことは、きっとすぐには信じられないと思うけど、それでも聞いてほしい」
彼女は何も言わずに、おずおずと頷く。
深呼吸を一つ。
い、言うぞ。
「俺、神なんだ」
言った……!
が、彼女は何も言わずに、おずおずと頷くだけだ。
そして、ぱちぱちと目を瞬かせる。
無言だ。
……。
「はい?」
まあそうだよね。
「俺、神なんだ」
「えっと、それは、どういう」
「神。God。I、am、the」
少し溜めを作って、
「God」
ドヤ顔だ。
キマった。
「……ええと、冗談を言っている場合ではないと思うんですけど」
「ごめんなさい」
今のは俺が悪かった。
何が「キマった」だ。
『そうですトールさまが悪いですよ』
確かに俺が悪いけどちょっと黙っててくれるかな。
「ただ、こればっかりはどう言っていいか分からないから、実際に見てもらったほうが早いと思うし、ちょっと見てほしいんだ」
門を開く。
そういやこれ俺にしか見えないとかないよね?
『大丈夫ですよ。彼女を見てください』
「あ……あ……」
シャルは口元を覆うように手を当てて、じりと後ずさる。
めちゃくちゃ怖がってるのでは?
あー。
そういえば、さっき俺 I am the God って英語で言ったつもりなんだけど、どういうふうに翻訳されたんだろうな?
同じ言語に翻訳されたのか、それとも別によく知られた言語があってそっちに翻訳されたのか。共通語みたいなものが普及してないとそういうのは伝わらないだろうけど、同じ言語だとわざわざ別の言語で言ったというニュアンスが伝わらなくなってしまうよね。
『トールさま』
冗談だとは伝わったようなので、少なくとも彼女は二ヶ国語に通じていることになるけど、よくよく考えてみるとそれはあまり不思議ではないかもしれない。
日本みたいな閉じた国だとわかりにくいかもなんだけど、大陸だと地続きでよその国、よその文化、よその言語集団と繋がっているから、国境沿いでは多言語話者というのは珍しくないんじゃないかと思う。
『トールさま。そろそろ現実逃避をやめて、お戻りになってください。彼女が怯えたままです』
「あ……あ……」
そうだった。
このままだとシャルの瞳からハイライトが失われてしまう。
「シャル。シャル」
門を閉じて、シャルの肩を揺さぶる。
「はっ。あれ、わたしはいったい」
「シャル。きみは悪い夢を見ていたんだ」
『トールさま……』
アンネの呆れ声には耳を貸さない。もっとも耳なんか介さずに頭の中に直接響くんだけど。
『ですが、それだと何のために門を開いたのか分からなくなってしまいますよ』
確かに。
と思ったら、シャルは首を横に振って、
「いえ。今のは夢じゃなかったです。覚えてます。あれは、お、オルドグの」
そこまで言って、口をわなわなと震わせたまま、固まってしまった。
「シャル?」
けれども彼女は、覚悟を決めたように、やがてゆっくりと口を開く。
「悪魔の門です」
異世界の神になったから魔女の前に降り立って神の奇跡を見せたら悪魔呼ばわりされた件について、っと。
『トールさま。エアスレ立てなんかしてないで、これからどうするか考えないといけませんよ』
トールさんはいったい何者なんですかって聞かれて、いやあだから神だけどって言って、当然それ以上に何も言えることがないから、黙っちゃうよね。
それをシャルがどういうふうに受け取ったかは分からないけど、少し一人になって考えさせてくださいって言われて、ありていにいって追い出されたわけだ。
森の中で孤独をかみしめる神だった。
少し急だったかもしれないなあ。
そもそも俺がシャルを信用できそうだって思ったからといって向こうが俺のことを信用してくれる保証なんてないもんな。
『急なのはトールさまのせいだけでなく、この世界の事情もありますから仕方ないと割り切りましょう』
ひょっとすると危機が迫ってるかも?というのはそのとおりだけども。
もうちょっといい切り出し方があったかもなあとは思うよ。
『次に生かしましょう』
次なんて機会があるのかは知らないけどね。
とはいえ実際今やるべきことはほかにある。
シャルに神であることを告げるのには失敗したけれども、それはそれとして、例の野営跡が本当に敵対勢力の斥候によるものかどうか確認しないといけないのに変わりはない。
『遠見』で周辺の状況を見てみる必要があるだろう。
その前に、少しニルシュヴァールという都市について整理しておく必要がある。
ニルシュヴァールというのは、ニールス川の東岸に作られた城塞都市であり、同時に、周辺一帯の農村地帯を含んだ地域の名前でもある。ニルシュヴァール市といえば都市そのものを指し、ニルシュヴァール方面といえばここいら一帯を含めた呼び方になる。
単にニルシュヴァールといった場合には、ロ帝国ニルシュヴァール辺境伯領を指す。
ロ帝国というのは、ロという名前の帝国である。略称ではない(はじめ見たときは略称なのかと思って躍起になって正式名称をあたろうとしたけど徒労に終わった)。
もちろんロという皇帝がいるわけじゃないし、ニルシュヴァールという名前の辺境伯がいるわけじゃない。
今のロ皇帝はデナール十三世ルイコンで、ニルシュヴァール辺境伯はミクシャ二世というらしい。なお、デナール銀貨のデナールはロ皇帝デナール五世に由来する。なので、デナール五世は『銀の五世』とか呼ばれている。
ところで。
ものすごくどうでもいいことなんだけどロ皇帝ルイコンってちょっとよくない響きがある。
ロのルイコン。縮めてロリコ
『トールさま、それ以上はいけません』
そうだね。
よくなかった。
気を取り直して『遠見』だ。
それにしてもCivと違って斥候や戦士をうろつかせて視界を確保しなくていいのは便利だなあ。
あと、自分で歩くよりもずっと速いスピードで視点を動かせるけれども、障害物の多いところでやるとめちゃくちゃ酔う。
単に相対速度の問題だ。
なのでまずは上空高くに飛び上がる。
これはこれでどれくらい移動してるのか把握しにくくて問題があるんだけど。
スケール感の問題だ。基準になるものが何もない。
ゲームだと文化圏や都市圏の範囲を可視化できるし、あるいは国境線を可視化できるんだけど、現実にそういう分かりやすい境界線っていうのはあんまりない。だいたいは地形で区切られていて、その地形っていうのは山とか川とかだ。
ただ、それは空いた土地全部使って二勢力の境界がせめぎ合いを起こしたときに、自然と地形に沿うように境界が形成されるようになるということで、まだまだ土地がスカスカな時代においては、地形もあんまり当てにはならない。
あんまり当てにはならないとは言っても、険しい地形は行軍の妨げになるので、結果的にその近辺の開けた土地で会戦になるということが多い。
ニルシュヴァールの立地を見てみよう。
ニルシュヴァールの東にはワレシュティの森が広がり、森の東側を南から北にかけてぐるりと険しい山脈に囲まれ、北はそのままニルシュヴァール市の北方まで伸びている。
西にはニールス川が流れ、橋が外されれば川が天然の濠として機能する。
西からニルシュヴァール市に攻め入るにはこの川を越えて、更に城門を打ち破らなければならない。とはいえニルシュヴァールの西にあるのはロ帝国の領邦だから、こちら側から攻め込まれるということはほとんどない。
南にはアンテルン都市同盟がある。関係は中立だ。
『中立ということは、今回ここから攻め入られる心配はないということですか?』
そうはならない。敵対勢力がアンテルン経由でやってくる可能性がないというわけではない。アンテルン側に国境を封鎖されていないかぎりは、そういうことが起こりえる。
アレクサンドロスが近くにいないヤッター!とか思って調子に乗ってたらファンファーレが鳴って象の大群が隣国経由して攻めてきたなんてままあることだからね。
『でも、それってゲームの話ですよね? 現実に、いくら中立国だとはいっても、よその国が軍を率いて国境を越えるのを黙って見過ごしたりするでしょうか?』
見過ごすかもしれないし、見過ごさないかもしれない。国境を開いているか閉じているかも、現段階では分からない。
分からないので、判断できない。
「こっちから攻められる心配はないだろう」って判断することもできないってことだ。
『そうすると、南からの侵攻も視野に入れる必要があるわけですね。でも、南からしか攻められないというわけでもない。ですが、北は山で、東にも森と山ですよね?』
山だって、どこもかしこもが険しくて登れないわけじゃないからね。
越えられそうなところから越えてくればいい。
『なるほど。つまり、越えられそうなところを警戒しないといけないんですね』
山脈っていうのは、いくつかの山が連なってできている。山と山の間が広いところは、傾斜が緩やかになる。
こういう場所は決して少なくないし、その全てを警戒するのはむずかしい。それでも重要な箇所には砦を設けて、有事に備えるものだ。実際にいくつか砦はある。
『そういえば、斥候らしき存在の痕跡は森にありましたから、山を越えてきたと考えるのが自然ですよね。そうすると、敵がいるとして、東にいるということになりますか?』
多分東のほうにいるんだと思う。
ただ、東は山越えの後、深い森だから、ここから攻め入るのは苦しいと思う。
ところで。
『なんでしょうか?』
アンネが真面目なの、ものすごく落ち着かない感じだ。
『トールさま……』
それそれ、それだよ、俺が求めていたのは!
呆れのこもった声色、そういうのがほしかったんだ!
『トールさまって、ひょっとしてものすごくどうしようもない……ああいえ、それはもう知っているんでした。随分前から見てきましたからね。それはもうよく知って』
ちょっと待ってください昔の話はやめてください。
『それはトールさまの態度次第です』
わるかった。
反省だ。
まあともかく、敵勢力がいるとして、それは東だろう。
山をどこから超えてくるか分からないけれど、東の方にいるのは間違いない。
『遠見』で様子を探るなら、東だ。
今いるここが、ワレシュティの森。東に目を向けると、高い山々が連なっているのが見える。ここを越える。
それにしても、『遠見』の有効距離みたいなのってないんだろうか。
なかったらチートだぞ。
『あ。ありますよ』
初耳だ。
『だいたい半径 1,000 km とお考えください』
なるほど。
東京からなら離島と北海道の一部を除いて日本のどこでも見渡せるくらいの範囲だ。
広いといえば広い。
でも世界全土を遠見だけで完全に見渡せるわけじゃないから、そう考えるとそこまでチートっぽくはないんだな。
『 1,000 km 先に偵察を送らずに様子を確認できるのは充分ズルいとは思いますが』
いいやズルくないね。
俺が読んだ小説はもっとインチキたくさんしてたもの!
貨幣の偽造とか『遠見』とか全然かわいいもんだよ。
『トールさまは子供ですか』
日本の法律ではまだ成人してないからね!
『お酒飲んでましたよね』
あれはノーカンでしょ。ここは日本じゃないし。
『いえ、この間の酒場ではなくてですね。以前に誰かに連れられてバーに』
なんで知って、あ、いや、俺言ったっけ? 言ったかもしれない。
『言ってましたよ。もっとも、聞かなくても知ってたんですけどね』
え?
『さあそれより「遠見」の続きです早く山の向こう行きましょう』
いやちょっと待ってなんで知ってるの?
『いいじゃないですかそんな些細なことは』
全然些細じゃないしまるでよくないよ!?
『細かいことを気にしてるといつまでも大人になれませんよ』
あれ、なんで呆れ声……? 俺がおかしいみたいになってる……?
アンネから詳しい話を聞くのはひとまず諦めて(でもいつか絶対聞いてやるぞ)、『遠見』で山向こうまでやってきた。
ふもとは森。その向こうは広大な草原だ。
少し高度が高すぎて地上の様子が分かりにくいので、高度を下げる。
草原か。
騎馬民族、なんだろうなあ。
だだっ広い草原に、ぽつりと白い点があったので、ズームで寄ってみたら、天幕だった。
ベースキャンプだ。
あちらこちらで馬が草を食んでいるのが見える。
やっぱり騎馬民族だろうな。
『騎馬民族?』
水源に恵まれないと定住はむずかしい。
豊かな土壌があれば穀物を植えて大きな人口を維持することができるけれども、それがないなら、食料は自然からの狩猟や採集、あるいは家畜の肉から得るしかない。もちろん家畜の餌は必要になるが、人間が食べるには適さない草でも、家畜を養うことはできる。
家畜が草を食い尽くす前に場所を移り、再び草原が茂る頃に戻る。
これを繰り返す生活様式が遊牧だ。
遊牧民たちは、牧草地帯から牧草地帯へと渡り歩くことになるので、移動手段が重要になるんだけれども、食料源になって労働力にもなる上、移動手段にもなるとても優秀な家畜がいる。
それが馬であり、騎馬民族は、大人の男ならだれでも馬に乗れる。馬に乗れなければ生きていけないというよりは、彼らにとって生きるというのは馬に乗って移動するのと同義だからだ。
農耕民族の場合、これだけの数の騎兵を擁するのはむずかしい。
ということは彼らは騎馬民族なんだろうということになる。
『騎馬民族だと、何かまずいんですか?』
多分だけど、この地域の人間は大量の騎兵部隊との戦いに不慣れだ。
元の世界の歴史でも、騎馬民族に攻め入られてボコボコにされた例がある。
戦術教義の違いといってしまえばそれまでなんだけど、知らないことには対処できない。
いずれにせよだ。
『そうですね。どこかに攻め込もうと準備している勢力がすぐ近くにいる、ということは間違いないでしょう』
どこに攻め込むかも、言わずもがなだ。
具体的にどうするか考えるのは後でいい。今すべきことは、この事実をしかるべき人間に伝えることだ。
シャルのところに戻ろう。
『いいんですか?』
悪魔の力だろうがなんだろうが、事実が伝われば充分だからね。
『遠見』を中止して、自分の体に戻る。
『あっ、トールさまそんな急に「遠見」を切ったら』
……。
すごく胃がムカムカする。
吐きそうだし頭痛もひどいしなんだか目眩が……。
『トールさま!?』
めのまえがまっくらだ。