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第1章 異世界の神初心者ですがよろしくお願いします
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異世界の神になってちょっと立地見るだけ

7. シャルティレーエトという名の錬金術師

「なるほど……トールさんの故郷では、魔女は実在しなくて、魔女の格好をするのは、一種の扮装なのですね」

 俺はうなずく。

 酒場の主人は森に住む魔女が酒の作り手だと教えてくれた。
 その魔女に会いに行ったら、そこにいたのはただ魔女と呼ばれているだけでない、本物の魔女だった。

「わたしたちの言葉では、魔女はの女を指します。あ、っていうのは、わたしたちの種族のことなんですけど」
「男は、特に呼び名がない?」
「はい。古くから、女には魔力が備わっているとされてきましたから。祭祀を取り仕切るのは魔女の役割なんです」
「魔力ってことは、魔法が使えたり」

 けれどもシャルは首を横に振る。

「まさか。神に力を授かったとか、そういう神話はありますけど、それはあくまで神話です」

 苦笑いを浮かべて、俺に聞き返す。

「それともトールさんのところには、魔法使いがいたりしたんですか?」

 魔法使いっていうか、俺、神だったりするんだけども。
 寿命が一億年もあって数多の世界を観察し続けてるっていう種族も知ってるけど。

 さすがに言えないよなあ。言ったところで信じてもらえるような力が……いや、あるのか。
 でも、どうなんだ。

『トールさま。この方にになっていただくなら、力をお見せするのも悪くないと思いますよ』

 指導者?

『天啓を与えるのに足る人材を探すために外界に降りたんですよ、トールさま。最初の目的をお忘れですか?』

 そういやそうだった。
 いや、覚えてる覚えてる。そのつもりでこの魔女に会いに来たんだし。

『大変こじつけっぽいのですが……』

 それよりシャルの話を聞こうよ。な?

「俺のところにも、さすがに魔法使いなんていなかったよ」

 魔女が呼び名でしかないくらいだから、そりゃそうだって話なんだけど。

「まあ、そうですよね」
「話の腰を折っちゃったよね。ごめん」
「いえ……ええと、どこまで話したんでしたっけ」
「祭祀を取り仕切るのは魔女ってところ」
「そうでした。ありがとうございます」

 シャルは続ける。

「女が祭祀を取り仕切っていたのは魔力とかじゃなくて、獣を捌いて肉を振る舞うのは女の仕事でしたから、その延長なんだと思います」

 食べものを取ってくるのは男の仕事。食べられるようにするのは女の仕事。
 祭にあたってもそうだったということだろうか。

「わかった。祭祀の運営をするうちに、集団の運営も担うようになっていったんだな」

 シャルは目を丸くする。

「どうしてわかったんですか?」

 先史時代から古代にかけて、女性のシャーマン、つまり巫女が政治的権力を持っていた、という話はよく聞く。
 なので、では女が祭を取り仕切るうちに、神との対話の役を担うようになり、やがて神の代弁者として集団を取りまとめるようになったんじゃないか。
 原始宗教の萌芽だ。

「俺の故郷にも似たようなのがある」

 卑弥呼のような宗教的な女性指導者は、実際それほど珍しくはない。
 神との対話役が巫女でなければいけない理由というのはよくわからないけれども。
 神が男性的な存在としてみなされていたのなら、窓口は女性のほうがウケがいい、とかはあるのかもしれない。
 男よりも女のほうが神秘的だというのは、ありそうだ。
 やがて神秘性よりも権威性が重視されるようになって、政治の主役が男性へと移っていった、と考えるとそれなりに辻褄が合う。

「魔女がなにか魔力めいたものを持っているとみなされていたのは事実なんだよね」
「そうです。の女だけが、精霊の声を聴くことができるとされています」

 ほら、精霊だ。
 精霊いるじゃん。異世界だよ。これが異世界。
 と思ったけど、ちょっと待って。
 精霊の声を聴くことができると

「精霊の声って、具体的にはどういう」
「特に何もないです」
「え?」
「わたし、精霊の声なんて聞いたことないですから。あ、でも、わたしは髪の色があんまり濃くないので、そのせいかもしれませんけど」
「髪の色?」

 聞き返すと、シャルは自らの髪を手ですきながら(ちょっと色っぽい仕草だ、もっとやってほしい)説明してくれる。

「髪が緑なのは、精霊の加護のれだって言われています。わたしはあまり強い加護を授かってはいないみたいですね」
「シャルの髪だってずいぶん緑色だと思うけど」
「わたしのはせいぜい緑がかった金髪ですから、緑髪とはちょっと呼べないんです」

 なるほど。
 緑髪って聞いても、ギターを破壊するパフォーマンスをしそうなロックバンドとかそういうイメージしか湧かないから、どうもピンと来ない。そういう色よりは、今目の前にいるシャルの髪のほうがずっときれいな色に思えるのだ。

『それ、言わないんですか?』

 恥ずかしくて言えないでしょこんなこと。

『女ったらしのくせに何言ってるんですか』

 女ったらしっていうのやめてくれ。誤解も甚だしいんだぞ。彼女イコール年齢なんだぞ。違った。彼女イコール年齢いない歴なんだぞ。
 ……なんか変なこと言ったかもしれない。

 気を取り直して。

「昔は、加護を強く授かっているほど精霊たちの声をよく聞くことができるって言われてて、鮮やかな緑色の髪の人を長にしたりしてたみたいですけど、結局、髪の色と政治的な資質に関係なんて何もないですから、廃れちゃいますよね」

 まあ、そりゃそうだ。
 そりゃそうなんだけど、ちょっと饒舌なのはひょっとすると思うところがあったりするんだろうか。いや、聞かないけど。

「結局迷信だったわけだね」
「そうですね。今でも信じてる人はいるみたいですけど、わたしは信じてないです」
「現実的なんだなあ」
「そうですよ」

 生きていくのに必要なのは、信仰心じゃなくて、飢えと寒さを凌ぐことですから。
 そういう彼女の顔に、冗談めかした色は全くない。

「だから、金になる薬酒なんだ」
「おかげさまで、冬を越せそうです」
「それは何より」

 冬を越すというのは想像以上に厳しい。
 年がら年中食べるものが穫れるわけじゃないし、保存もむずかしい。

 俺も追放者の村を何度も何度も飢えと寒さで潰してきたから分かる。薪が足りない、食料も足りない、衣服も道具も足りない。家が足りない、労働者が足りない。大変なんだよな。

『トールさま、どこで村の運営をされてたんですか?』

 Steam で買ったゲームの話だけどね。

 アンネの呆れた顔が思い浮かぶようだ。

「ところでなんだけど、酒と薬以外にも何か作ってたりする?」
「ええと、ハムとチーズはよく作ります。あとはパンですね。このあたりは、街の人にもレシピを教えたことがあります」
「パン!」
「わっ! び、びっくりしたじゃないですか、急にどうしたんですか」
「パンのレシピって、パン種? それとも酵母液?」
「……トールさんって、本当になんでもお見通しなんですね。驚きよりも、ちょっと怖いです」
「こ、怖くないよ!」

 ぜんぜん怖くないよ!

『トールさま、それだとかえって怖がらせてしまうと思いますが』

 そんなことあるもんか!
 見てろよ、俺のこのコミュニケーションスキルで、場を和ませてみせる!

「さ、サワークリーム」
「どうしてそれも知ってるんですか? ひょっとしてわたしのこと影で調べてたんじゃないですか? か、官憲につきだしたほうがいいですか?」
『この上なく怖がられてるじゃないですか』

 そんなばかな!
 相手の知っている分野の話をしたら喜ばれるって攻略本にも書いてあるのに!

『トールさま、これは恋愛ゲームじゃありませんよ』

 いや、恋愛ゲームじゃない。
 生活シミュレータだ。キリッ。

『やっぱりゲームじゃないですか……その人しか知らないはずのことをなんでも知ってたら、ふつう警戒するに決まってるじゃないですか』

 確かに。
 俺もアンネのことめちゃくちゃ警戒してるしな。

『そうですか? その割には隙が多いというか……あ、トールさまが中学のときに書いてらしたあのノートの』

 やめろ!

「……トールさんの言うとおり、酵母液とサワークリームも作ってます。でもどうしてわかったんですか?」
「わかったというか、作れたらいいなと思ったから聞いたみただけなんだけども」

 サワークリームは、赤いスープの上に乗っていた、あのヨーグルトみたいな香りのするクリームだ。ていうか今思うとあれってもしかしてボルシチなんじゃないかな。ボルシチ食べたことないからちょっと自信はないけど、確かボルシチはサワークリームを添えたりする。

「確信があったわけじゃないんですね、だったらわたし黙ってたら気付かれなかったんじゃ」

 そうだよ。
 でもすぐ顔に出るから無理じゃないかなあ。
 と思ったけど、それは言わない。

「チーズのレシピって、ひょっとして塩水で洗うやつ?」
「だからどうしてわかるんですか!」
「そうだったらいいかなって」
「あれ、もしかして今のも黙ってれば分からなかった……?」

 そうだよ。

「種明かしをすると、チーズのほうは酒場で食べたんだよ」

 塩水や酒を吹き付けて作るチーズをウォッシュチーズと呼ぶ。
 チーズの歴史は古く、紀元前からある。その長い長い歴史の中で、時代が下るのに合わせて、さまざまな種類のチーズが生み出されてきた。
 ウォッシュチーズもその一つで、中世ヨーロッパの修道院で考案されたと言われている。
 このあたりの文化水準でいうと、流通していてもおかしくはない。

 ところでこのウォッシュチーズ、赤みを帯た表皮の部分に大変強い風味を持っている。
 なので、出てきてすぐわかった。
 大学入ったばっかりの頃に先輩に連れられていったバーで、無理やり食べさせられたやつだ。
 よく覚えている。
 記憶の中の味は匂いに比べるとまろやかだったんだけれども、俺が先日食べたやつはこってりとして味が濃かった。羊乳製だからかもしれない。
 確かに芳醇で香りが強く、味わいも濃い薬草リキュールには合う味だといえばそうなんだが、もうちょっと選んで出してくれ!
 酒場の主人を心の中でちょっと恨んだのはここだけの話だ。

「誰が作ったかまでは聞いてないけど、シャルなら作れそうでしょ」
「うう、そうですね。あの街で食べられてるチーズのレシピは、わたしが考えたものです」
「そりゃすごい」
「といっても、わたしが作ったチーズが実際に出回ってるわけじゃないですし、今はほとんど教会で作ってると思います」

 そうか、特許とかそういう仕組みないもんね。

「わたしは、べつに誰が作ったとかは気にしないんですけどね」
「でも、そういうのを思いつくってやっぱりすごいことなんじゃ」
「干し肉でもハムでもそうですけど、塩漬けにすると傷みにくくなりますよね。だから、チーズもそうなのかなって思って試しただけなんです。それってそんなに大げさなことじゃないかなって思うんですけど」

 俺は首を振る。
 知っていれば単純なことなのだ。
 でも、知らなければ一生気付かない。気付けるかどうかという差は思うよりもずっと大きい。
 どんなに些細なものだって最初の発見は偉大だ。賞賛に値する。

 目の間にいるのは、間違いなく、後世に偉人として名を残す人物だ。
 けれども、今その功績が評価されないのは、少し残念に思う。
 まあ、言っても他人事なんだけれども。

「あ、でも酵母液とサワークリームは、わたしが考えたんじゃないですよ。一族に代々伝わってきた製法で、わたしはお母さんから。だから、わたしが思いついたことなんて、ほんとにちょっとだけなんです」

 醗酵乳も発酵パンも紀元前からある。
 イースト菌の発見はルネサンス以降になるけれども、果実を発酵させて得られた酵母液でパンを膨らませることができるということは、ずいぶん昔から知られていたはずだ。でなければパンを量産するなんてとてもできない。
 ただ、それだけでうまいパン、うまいサワークリームが作れるわけじゃないので、うまく作るためのレシピには価値がある。
 彼女たちが代々受け継いできたそれは、人間の作るパンやサワークリームよりもうまかったってことなんだろう。

「ハムは?」
「ハムのレシピはわたしがちょっとだけいじりました」
「やっぱり。ハーブの香りがしたからそうかなって思った」
「獣臭さが抜けるんですよね。でも、たぶん他の人もやってると思いますよ。分量は人それぞれだと思いますけど」

 頑なに、自分は大したことやってないと言うわけだ。
 奥ゆかしくて、大変よい。
 まあ思ってることがすぐに顔に出ちゃったりはするんだけどね。
 それはそれだ。
 よさがある。
 よさガールだ。

『トールさま……』

 ん、何かね、言いたいことがあるなら言いたまえ。

『いえ、別に特にはありませんので結構です』

 アンネは奥ゆかしいっていうか腹黒だよね。思ってること顔に出なさそうだ。

『トールさまは思ってることをダイレクトに交信に乗せるのやめましょうね』

 こほん。
 気を取り直して。
 シャルのやっていることは、ほとんど錬金術士みたいなものだ。
 錬金術というのは、言ってみれば化学の前身である。
 醗酵や蒸留というのは、知らない人が見ればまるで魔法だけれども、それは化学だ。
 起きる現象には原理がある。
 原理を理解せずとも、手順と現象の因果を理解して、酒を作ったり酵母液を作ったりというのは、まさに錬金術だ。

「シャルは、俺の故郷の言葉で言うと、まるで錬金術士みたいなんだよね。俺の故郷では、錬金術士に憧れないやつなんていなかった」

 それはちょっと言い過ぎかもしれないけれども、みんなだって、両手をパンって合わせるやつ真似したでしょ? 俺は真似したぞ。

『わたしは知っていますよ、ノートに書いて』

 やめろ!!
 取り乱すところだった。危ない。
 心を落ち着けようとシャルの様子を伺ってみると、ちょっと恥ずかしそうに頬を染めて、もじもじしている。ぜんぜん心が落ち着かなかった。

「れ、錬金術士っていうのがどういう人かわからないですけど、わたしはきっとそんな格好いいものじゃないですよ。さっきも言いましたけど、生きるために必死なだけなんですから」

 いや、その生きるために必死ってのがもう格好いいんだけどなあ。
 というのは、胸のうちにしまっておこう。
 恥ずかしすぎる。
 ごまかすように、話題を変える。

「ハム、チーズ、パン酵母、サワークリーム、薬酒……このあたりの食文化で、これだけの数、シャルが関わってるものがあるんだよなあ」
「ええと、はい。ちょっとずつですけどね。他にもあったかもしれません」
「じゃあ、鳥の腿肉の燻製も?」
「鳥の腿……? なんのことですか?」
「え?」

 ハムを作ったりチーズを作ったりするくらいだから、鳥らしき生き物の、腿肉らしき部位の燻製も、シャルが作ったんじゃないかと思ったけれども。

「鳥の腿の燻製は、作ったりしないの?」
「しないです。保存するほど量がないですから」
「じゃ、じゃあ、ウザギは?」
「ノウサギですか? ノウサギも、備蓄するほど数は獲らないですから、燻製にするっていうのはあんまり聞かないです。あ、でも、塩漬けは……鳥もですね、作ったりする人もいるのかな。多分ですけど」

 わたしはやらないです、という声が遠くに聞こえる。
 頭が真っ白になった。
 なんでだ? どういうことだ?
 じゃあ、あの野営地での鳥の腿の骨はなんだったんだ。
 分からない。分からなくても、考えろ。
 食べた痕跡はあるんだから、食べたには違いない。
 燻製は作らない。塩漬けの干し肉は、小削いだものを食べる。小削いだものを持ち歩いたほうがかさばらないし、削ぎ落とす手間が省ける。
 現に骨があったんだから、骨付き肉を食べたのは事実だ。
 干した塩漬けの骨付き肉を持ち歩いて、その都度削いで食べたのか?
 あるいは、保存食じゃなくて、現地調達した可能性とか?

「このあたりで、野営をしながら野鳥を狩ったりは」
「しないと思います。猟師さんは森小屋に住んでますし、森小屋から遠く離れて狩りをすることはほとんどないです」

 そもそも野営しない?
 でも野営跡はあったわけだ。
 ということは、ええと、どういうことだ?
 嫌な予感がする。
 保存食を持って長期の旅をするとして、その目的はなんだろうか。
 行商なら、森のような悪路を通ることはない。
 迂回して整備された街道を通ったほうが結果的に早く着くし、わざわざ視界の悪い森を進んで野盗に襲われるリスクを冒す必要もない。
 逆に言うと、野盗に襲われるリスクを折り込んだ上で、悪路で時間のかかる森をわざわざ選ぶ理由はなんだろうか。
 野盗の立場で考える。
 野盗にとっては、街道で仕事をするのはデメリットしかない。目立ちすぎる。
 森なら、うってつけだ。野盗が襲いやすいというのは、野盗にとってはメリットだ。
 森のメリットは、人目につきにくいところだ。
 人目につきにくいルートを選ぶのはなぜか。
 人目につきたくないことをするときだ。
 野盗以外に何があるか?

「トールさん……?」
「斥候だ」
「え?」

 このままだとまずいことになる。急いでここを離れないと……いや、離れてどこに行くんだ?
 考えろ、何ができる?

『トールさま、落ち着いてください』

 いや、今は落ち着いていられる状況じゃ。

『冷静さを欠いては、正確な判断は期待できません。まずは状況を整理しましょう』

 ……そうだ。
 慌ててどうにかなることでもない。

「トールさん、斥候っていったい?」
「この間、この森の中で野営跡を見たんだ。てっきりニルシュヴァールを出発した旅人のものだと思っていたんだけど、そうじゃない可能性が高い」
「そうじゃない可能性?」
「それが斥候だ。たぶん、どこかよその移動民族の……」

 ニルシュヴァールを発った旅人なら、羊のハムを持ち歩くほうが理に適っている。そうでないということは、外から来た可能性が高い。
 外とはつまり、ニルシュヴァールを中心としたここら一帯の領地の外、だ。
 ニルシュヴァールには高い城壁があった。周辺の村落にも、土塁と木柵で防壁を設けてあるのを見ている。
 このあたり一帯、長らく外敵の脅威にさらされてきたのだ。
 でなければ防壁なんて必要ない。

「斥候が来たってことは、偵察しに来たんだ。何のために? 決まってる」
「これから、攻めるために……?」

 俺は黙って頷く。

「ニルシュヴァールは、これから外敵の侵略に晒される」

 どうすんだ、これ。
 神、大ピンチだ。

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