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第1章 異世界の神初心者ですがよろしくお願いします
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異世界の神になってちょっと立地見るだけ

2. 精神と時の世界

 を潜り抜けると、そこは異世界だった。

 ……かどうかは、最初の印象ではちょっとよく分からない。
 大理石の床や柱に石組の壁の通路が目の前に延びている。
 いかにも神殿とかそういう類のファンタジーの建築っぽい雰囲気だが、ヨーロッパに行けばそういうのはある。復元にせよ模したにせよ。
 模したっていうのはたとえばドイツのヴァルハラ神殿のような 18 ~ 19 世紀の新古典主義の建築物なんかがそうだ。あと大英博物館とかね。
 自分で判断するより聞いた方が早い。

「ここは?」
「こちらは空中回廊、これからトールさまの拠点となる場所です」

 空中っていうからには空の上にあるんだろうし、回廊っていうからには何かを取り囲んでいるんだろう。見取り図の類を見てみないと分からないが。
 後ろを振り向く。
 門だ。
 門といっても、門扉がついていて開け閉めできるようなものではなくて、門柱とアーチで組まれただけの、開け放たれた門。ちょうど凱旋門のような。
 門の向こう側は空間が歪んでいてよく分からない。
 机の引き出しから出入りするタイムマシーンが通る空間みたいな感じだ。

「そちらの門で世界を行き来できます」
「そこからに帰るってことか」
「それと、これからトールさまに見守っていただく世界にためにも使いますね」

 ん?

「ここがその世界じゃないの」
「はい。ここは中継点です。どの世界……というのは少し難しいですね。表現するなら……そうですね、わたしたちの世界、でしょうか」
「アンネたちの世界?」
「あ、いえ。そうではありません」
「あー。そのわたしたちに俺も含まれるってことか」
「というより、ありとあらゆる人が含まれるというのが正確です」

 すべての世界の人にとってのわたしたちの世界、か。
 なんとなく分かるが、『わたしたちの世界』っていう言葉はちょっとややこしい。何か別の呼び方……と、思考を巡らせていると、アンネはちょっと分かりにくかったと思ったか、付け加えるように口を開いた。

「あらゆる世界は、わたしたちの世界の下にあります」
「下?」
「下でもあり、内側でもあります」
「分かってきた。『わたしたちの世界』が、すべての世界を内包している。つまり、大きな箱の中に小さな箱がいくつも入っている。小さな箱ひとつひとつが世界で、大きな箱が、今いるこの『わたしたちの世界』。そんな感じ?」
「はい。その認識で問題ないでしょう」
「オッケー。それじゃ、『わたしたちの世界』だと紛らわしいから、これからはと呼ぶようにしよう」

 pan universaだ。

「なるほど……分かりやすくていい命名ですね」
「せやろ?」
「……」

 ドヤ顔したらジト目で返された。

「ま、まあ、それはともかく」

 仕切り直す。
 ここの呼び方より大事なことがある。いや、忘れていたわけじゃない。

「これから異世界に行くにあたって、いくつか質問があるんだけど」
「はい、いいですよ」
「まず、向こうに行って神になるのは分かったんだけど、具体的には何をすればいい?」
「人々に文明を築かせ、大きくし、繁栄させ、数を増やし、富ませる……ために、最初は文明からですね。彼らに知恵を与え、畑を耕して、家畜を飼い鳴らし、鉄を鍛えさせ、文字を、法を、商業を、教育を、彼らに授けるのです」
「なるほどね」

 ストラテジーゲームによくありがちな技術研究ツリーを連想する。あれは歴史を反映してゲームになるようにモデル化してるんだから、ある程度は逆も言えるわけだ。

「といっても、最初からそれなりに発展している場合もありますので、そのときはラッキーだったとお考えください」

 逆に運が悪ければマンモス狩ってるようなところから始まるってこともあるのか。
 待てよ?

「そもそも人類自体発生してない可能性は?」
「トールさまに行っていただく世界は最低限、人間の住む世界から選定していますので、ご安心ください」

 よく考えてみれば、異世界にいくわけだし、そもそも人間がいるかどうかも怪しいのか。
 でも少なくとも人間はいる、と。

「向かう先の世界は、いわゆる地球みたいな世界?」
「そうです」
「住んでる人も、地球人と同じ」
「厳密には同じではありませんが、そう考えていただいても問題ないでしょう」
「言葉……というか意思疎通は?」
「神の奇跡によって、その世界のあらゆる言語でコミュニケーションをとることができます」
「言語を解さない相手とは意思疎通できないってことか」
「そのとおりです」

 まあ自動で翻訳されると思えばよさそうだ。
 あとは、そうだなあ。

「下界で怪我をしたり病気をしたりって心配があるけどそのへんどうだろう」
「下界に降りるのは神の化身としてのかりそめの体ですから、そこで何かがあってもトールさまご自身の体を傷付けることはありません」
「下界で死んだら?」
「意識がここに戻ってきます」

 ん、んー?

「ゲートをくぐるのは身体ごとだよね?」

 身体がゲートをくぐって向こうに行って、戻ってくるのは意識だけだとすると、それってつまり死んでしまったということになるのでは。

「はい。あ、そうですね。それを説明していませんでした。この『わた…』、汎世界では、あらゆる存在は実体ではなく概念として存在します」
「ごめんもうちょっと分かりやすく」

 言葉の意味は分かるけどぜんぜんイメージできない。

「意識だけの存在だと思ってください。ここには物質的な肉体はありません」
「じゃあ俺の身体 is 今どこ」
「どこにもありません」
「元の世界にも?」
「はい」

 ……。

「え?」

 それって、魂だけの存在になってるってこと?
 俺、幽霊になっちゃったの?

「元の世界に戻るときに肉体が再構成されますので、ご安心ください」
「あーびっくりした」

 ゲートを出入りするときに身体を分解したり構築したりするってことか。
 よく考えてみれば地球上の物質が異世界にも同じように存在するとは限らない。物理法則も一緒かどうか分からないし。
 ゲートはその変換装置の役割を持っていると考えれば、確かに理にかなっているのかもしれない。
 でも質量保存の法則を思いっきり無視してる気がするんだけど……考えたらだめかな。だめなんだろうな。

「そういうわけですから、下界に降りても命の危険は一切ありません。ただ、痛みを感じなくなるわけではありませんから、怪我をしたり病気にかかったりすると、相応の苦痛を感じることになります」

 まあ、そりゃそうか。

「たとえば手足を失うような死なない程度の大怪我は、かえって死ぬよりもつらい思いをされると思いますので、お気をつけください」

 うひー。
 想像しただけでもぞわぞわする。

「気を付けよう」
「はい」
「痛みがあるってことは、感覚はだいたいそのままってことだよね」
「そういうことです」
「空腹だとか疲労も」
「はい。ですので、下界にいる間も食事や睡眠は必要になります」

 仮に不眠不休で動き続けられたとしても、そっちに慣れるわけにもいかない。
 元の世界に戻れば普通の人に戻るわけだが、普通の人の感覚を忘れると日常生活に支障をきたしてしまう。なにごともほどほどにしておいたほうがいい。

「といいますか、感覚があるからというより、実際に身体を構成しなければいけない以上、どうしてもエネルギーが必要になりますし、消耗した身体の回復のための休息も欠くことはできません」
「なるほど」

 分かってきた。
 アンネが腹ペコになったのって多分そういうのが理由だ。実際に世界に降り立つために意識だけの存在を物質として具現化しないといけないから、それでエネルギーをたくさん消費した、と。
 そうすると今度はペヤングで補充できるくらいで済んでるほうが不思議になってくるんだけど、多分、気にしない方がいいんだろう。

「でも、ちょっと待って」
「なんでしょう」
「アンネが俺の世界に降りてきたときみたいに、俺も下界に降りたら滅茶苦茶お腹空いて眩暈がするとかそういうのになったりするんじゃ」
「ああ……いえ、そういうことはないと思います。わたしたちはそれぞれの世界に降りるときに膨大な記憶を電気信号化しなければならないので、そのためにエネルギーの消費が激しくなってしまうのです」

 またあたらしいタームが出てきたぞ。

「悠久人?」
「わたしたちの種族のことです。『長く生きるもの』という意味になるのですが、トールさまの国の言葉に訳すならそのあたりかと思いましたので」
「長寿族とか長命族でよかったんじゃ」
「!!」
「いや、びっくりした顔されても……」

 気付かなかったのか……。
 いや、異世界人だからきっとこっちの言葉に不慣れなんだな。
 そういうことだと思おう。

「と、ともかく、そういうことですから、下界に降りるにあたっての懸念はないと思います」
「とりあえず分かった」
「わたしが食いしん坊キャラでないことをご理解していただけたようでよかったです」
「誰もそんなこと言ってないよ!?」

 むしろ食いしん坊の自覚はあるんだ。
 まああれだけ食べておいて無自覚だったら間違いなく食いしん坊キャラなんだけども(自覚があれば食いしん坊でないとは言っていない)。
 なんか不安になってきた。
 不安といえば、ひとつ気になることがある。

「ところで」
「なんでしょうか」
「世界を見守るのはいいとして、文明の起こりから産業革命に至るまでって一万年とかあるんだけど、人間の寿命だと 150 回くらい生まれ変わらないと無理な気がするよ。それこそ不老不死でもないかぎり」

 どの程度から文明と呼ぶかにもよるが、だいたい紀元前 10,000 から 8,000 年くらい前が文明のはじまりだと言われている。
 今が紀元後 2,000 年あまりだから、まあだいたい一万年くらいだろう。
 エルフだってそんなに長生きする設定あんまり見かけたことない。

「元の世界を離れている間、トールさまは歳を取りませんし、よほどのことがなければ死ぬこともありませんので、ある意味では不老不死とは言えますが」

 首を振る。
 不老不死だからって問題がなくなるわけじゃない。
 たとえば今から千年くらい試しに神やったとして、それから元の世界に戻ったら、当たり前だが、千年経ってるわけだ。
 そもそも、まともな人間の精神が千年持つかどうかあやしい。仮に持ったとして、元の世界に戻ってまともな生活が送れるとは思えない。
 かといって、お試し期間一日で神の何が分かるのかという話だし、分かったところで、そんなに長い間神をやるのはごめんである。
 ここに来るまでどうして気付かなかったんだろうとちょっと思うが、まだ今なら降りられる。
 というあたりのことを説明すると、アンネにも得心がいったようだ。
 けれども、問題ありませんよ、と彼女は続ける。

「それでしたら、トールさまの世界とこの場所では時間の流れが違いますから大丈夫です。これからトールさまに神さまとなっていただく世界も、ですね」
「具体的には?」
「そうですね。トールさまの世界での一日は、ここでは百年に相当します」

 は?

「なんだって?」
「この場所では、トールさまの世界のおよそ 36,523 倍の速さで時間が流れると考えられます」

 さっきと言ってることが違う。およそとか言ってるのに妙に数字が細かいし。やっぱり聞き間違いだったかな。そうだよね聞き間違えだよねだってたった 36,523 倍……ファッ!?

「え、さんまんろくせん……なに? ちょっと待って、計算するから」

 一分が 60 秒で一時間が 60 分だから 3,600 秒。混乱してこんな簡単な計算すらぱっと思い浮かばなくなってる。ヤバイ。
 つまりこっちで 10 時間経った頃にやっと向こうの一秒なので、ここで一日過ごしてから帰ると、向こうに戻っても 3 秒も経ってない。こっちで一週間くらい過ごしたって、それでもまだ 20 秒程度。
 カップラーメンにお湯を注いでからこっちに来たとしても、二ヶ月経ってもまだ麺が伸びない。
 ヤバイ。

「なんてこった」

 でもちょっと待って。そうするとおかしなことになる。

「元の世界に用事があって途中で……たとえば一日だけ抜けたりしたとする。翌日戻ってくると、ここは 100 年後なわけでしょ」

 いわゆるウラシマ効果だ。

「アンネがお婆ちゃんになっちゃってたりするんじゃ」
「それは大丈夫ですよ。この場所にいる限りは歳を取りません」

 そういえばそんなこと言ってたな。

「そもそもわたしは悠久人ですから、寿命の心配はありません」

 そういえばそんなことも言ってたな……。

「ちなみに悠久人ってどれくらい生きるの?」
「個体差はありますが、平均寿命は一億歳です」

 は?

 ……はっ。
 また思考がフリーズしていた。ひょっとしてお脳 16 bit しかないのかな。
 だったらしょうがないね。16 bit じゃ 65,536 まででオーバーフロー起こしちゃうからね。
 現実逃避なのは理解している。

「まって、一億とか急に言われても分からないから。とりあえず 36,523 で割るから」

 100 を 37 で割って約 2.7 でそこに 100,000 をか

「神さまの世界で言うとおよそ 273,823 年になります」
「アアアアアアアア計算してたのにイイイイイイイイ」
「もうしわけございません」
「ううん、いいんだ……」

 つらくなんかない。
 それより気になることがある。

「個体差ってさっき言ったけど、長生きの人ってどれくらい生きるの?」
「一億年に届かないという人もいるみたいですし、一億五千万年ほど生きる人もいると聞きます。記録上は三億年生きた例もあるそうですね」

 さすがに一億歳と一億五千万歳が個体差と言われると納得しがたいが、よく考えてみると人間も平均 75 歳ほどで長寿記録は 120 歳を超えているのだからそこまでおかしくはない。

 いやいやいや!
 おかしいよ!
 記録上は三億歳って!
 一億五千万年で地球年齢 410,734 歳で、三億年で地球年齢 821,469 歳。人なのかどうかちょっとあやしい。80 万年ってそれ今の人類の誕生より前だからね。
 平均と長寿との差だって 136,911 年もあったら中国四千年の歴史を 34 回繰り返せるし、黄巾の乱から西晋の統一までの期間ならだいたい 1,500 回くらい繰り返せる。
 そんなに繰り返したら 221 年開始の公孫恭でも中国統一できる。
 三国志じゃなくて、三國志の話。

「ていうか、思ったんだけど一億年も生きてたら退屈するんじゃないの」
「時間の感じ方が神さまとは異なりますので」

 違うって、まさかほんの 1 秒の間が 1,314 万秒くらいに感じられているってことはないよな。

「正確には、時間の感じ方を変えることができます。時間の流れをゆっくりに感じるようにしたり、速く感じるようにしたり、ですね」
「なるほど」

 しかしよく考えてみよう。
 Civilization Ⅳ でゲーム速度 Quick で時代は Ancient からゲームを開始したとすると、だいたい 1 プレイにかかる時間は 3 時間前後。
 早ければ 2 時間程度だし、のんびりやっても 4 ~ 5 時間あれば終わる。
 紀元前 4,000 年から 2,050 年までの 6,050 年間を平均およそ 3 時間だ。
 Civ Ⅳ の経過年数は時期によって変動するからちょっと乱暴な計算になるが、現実世界の一時間が約 2,000 年に相当する。
 これがゲーム速度 Normal なら約 8 時間。それでも 一時間で約 750 年になる。一日なら 18,000 年。
 ってこの汎世界と地球の時間の流れる速さの差を考える。
 現実世界の一時間はどれくらいに相当するだろうか。
 こちらでは 36,523 倍の速さで時間が流れるから 36,523 時間つまり 1,521 日、約 4 年だ。
 これがゲームだとすると、一時間プレイしても 4 年分しか進行させられない。
 8 時間で 32 年だ。
 近現代の 32 年なら劇的な変化を生むが、黎明期の 32 年って狩りして子作りして子育てして世代交代して終わりである。
 Civ Ⅳ よりよっぽどこっちの方が時間泥棒なのでは??

 ま、いっか。
 ちょっと立地見るだけだし。

 そんなことより、少し話が逸れてしまった。

「時間の流れが違うというのはよくわかったけど、実際に下界に降りている間、下界の一年を実際に一年として感じるんだとしたら、結局のところ当初の懸念は解消されないんじゃないかな」

 千年の時の流れをただじっと見守り続けなければいけないんだとしたら精神崩壊コースなのは一緒である。

「ずっと下界に降りている必要はありませんから、こちらに戻ってきて、様子を見ながら下に降りる、という流れになると思います」
「ここから様子を見たりもできるの?」
「はい。ここにいる限りは、時間感覚を引き伸ばしたり、加速させたりできますので、普段は時間が早く流れるように感じるようにしておいて、下界の様子を眺めているのがいいと思います。ただ、一度は降りていただく必要がありますが」

 なるほど。
 倍速モードみたいなもんか。
 一度は下界に降りないといけないということは先によさそうな立地を見繕ってから下りるとかそういうのはできないってことだな。
 ま、それならそれで。
 立地占いだな。

「ちなみに下界に降りられるのは、神さまだけですので」
「へっ?」

 アンネ、一緒に来てくれるんじゃないの?

「わたしが自分で降りられるんでしたら、他人に神さまをお願いしたりする必要ないじゃないですか」

 ちょっとがっかりしたような視線を向けてくる。
 そ、そんな目で見るなよ。変な性癖に目覚め……とか考えていたら、より一層視線の温度が下がった。
 不埒なことは何も考えてないですよ?

「そ、それじゃ、俺ひとりで降りるってことか~、そ、そっか~、ちょっと不安だな~」
「神の化身の身体はどれだけ傷付けられても、トールさまご自身の身体を損なうことは一切ありません。ご安心ください」
「でも痛かったりしんどかったりっていうのはあるんだよね?」
「それは……耐えてくださいませ。トールさまなら、できます」

 ぐっとこぶしを握って俺を励ますアンネ。
 こいつ、キャラとしての軸がブレつつある気がするんだが。

 ちょっと立地見てくるだけだ。
 何も問題はない。

 よし。

「じゃ、じゃあ、ちょっと伊勢行ってくるね」

 噛んだ。
 なんともしまらない、俺であった……。

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