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妹ごっこ

「これはなんとかせんとですよ」
 昨日からこっち、小春子の様子がおかしい。
 もちろん、もともと一度スイッチが入ると際限がなくなるところはあった。
 でもこれは度が過ぎる。
 原因は分からないでもない。俺もちょっと調子が狂っている。無理もないことだ。
 ただ、だったらどうなのかというと、これもまた難しい。原因がわかっているからといって、それを解決するのはまた別の話だ。
 原因がわかってれば解決できるんなら苦労なんてないもんな。
 ふと、ノックが響く。
「おにいちゃん、起きてる?」
「きみにおにいちゃんなんていません」
「もー、すぐそういうこと言う」
 言いながら小春子が部屋へ入ってくる。
 まるで昔から妹だったみたいな振る舞いである。
「どう? パジャマだよおにいちゃん!」
「パジャマだな」
 子供っぽいデザインなのに、パジャマってなんで妙にエロい感じするんだろうな。いや、小春子に対してそういう感情はわかないぞ。断じてだ。
「生地が薄手で、身体の……主に胸部と臀部のラインが…‥それでいて腰まわりは分かりにくいので、かえって想像力をかきたてるというか……胸部と臀部から、頭の中でウェストラインを描き出して……」
「おにいちゃん声に出てるよ」
「はっ!?」
 両手で自身の身体をかき抱くようにしながら、じりじりと後ずさる小春子。
「やめて、そういうちょっとえっちっぽい仕草やめて!」
「え、えっちじゃないもん! 変な目で見てるのおにいちゃんだもん!」
 こいつわざとやってるだろ。
「えっと……つぎ何だったかな。そうだ! い、妹を性的な目で見るなんて、おにいちゃんの変態!」
「それを言いたかったのか」
「うん」
 脱力する。
「はあ、用が済んだなら帰りなよ。夜に男の部屋にふらふら来るんじゃありません」
「えっ、ち、ちがうの、まだ用済んでないから! おにいちゃんに用あるから!」
「じゃ、ぱぱっと済ませちゃうから。ほれ」
「えっと、パジャマは見てもらったし、次は……」
 今考えるんかい。
「そ、そーだ! ま、枕が変わって寝付けないから、おにいちゃん一緒に寝」
「嘘つけ。昨日すやすや寝てただろ」
「うぐ……って、おにいちゃんなんでそれを……もしやゆうべわたしの部屋に……?」
「実は起きてたんなら知らんけど、図星でしょ」
「は、謀ったわね!」
「はいはい。用済んだ? いや、むしろ気が済んだ? ならはやく自分のお部屋帰って」
「むー、ま、まだだもん。そ、添い寝がだめなら、お、おお」
「お?」
「おやすみの」
「おう、おやすみ」
「そうじゃなくて!」
 ぶんぶんと頭を振る小春子。真っ赤な顔で、俺をじっと見る。お、おう……。
「お、おお、おやすみの、キ、キキ、キスを……妹はごしょもーです!」
「ちょっと落ち着け」
 こつんと頭にげんこつを落とす。
「あいたっ」
「できもしないことを言うんじゃないの」
「で、できるもん!」
「はいはい。分かったからもう寝ような」
「わかった! キスじゃ足りないんだ! い、いいよ!」
「いいって何が」
「キスだけじゃなくて、その。その先も、いいよ」
「その先って、お前」
 わかって言ってるのか?
 いや、わかるだろう。
「わたし、セックスだってできるもん! おにいちゃんだって、妹とえっちなことしたいって思ってるもん!」
 ……はあ。
 俺は盛大に溜息をつく。
「……俺をからかって楽しい?」
「え? あ、ちが」
「違わないだろ」
「ちがうったら、ちがうんだから」
「からかってるんじゃなかったら、なんだ。あてつけか? 俺がああいうので遊んでるがいやで、こういうことしてるのか?」
「ちっ、ちが! そんなことわたし」
「あてつけじゃないなら、やっぱりからかってるんじゃないか。そうだろ。一緒に風呂に入ろうとしたり、添い寝を要求したり、キスを迫ったりして。それともあれか、俺がお前に手を出して、それをうちの親に告げ口でもするつもりか? 昨日の復讐のつもりか?」
 そこまで言うと、小春子は俯いて押し黙ってしまった。
 ちょっと言い過ぎただろうか。
 いや、そんなことはない。
 ちゃんと言わないと分からないこともある。
 が。
「わたし」
「ん?」
 突然だった。
 小春子は俯いたまま、わなわなと肩を震わせ。
 唐突に、堰を切ったように。
「わたし、そんなつもりじゃなかったのにーっ!!」
 泣き喚いた。
 びええええ、びええええ、と喚いて、喚く。
 びえええ。
 びええええ。
 ど、どうすんだこれ。
 びええ。おにいちゃんのあほー! びええ。
 びええええ。
「わ、わかった。わるかった。俺がわるかったから。ちょっと落ち着こう、な?」
「びええええ、びええええ!!」
 どうすんだこれ……。
 びええがぐすんぐすんになるのに三十分かかった。
 先は長い。


 結局、小春子をなだめてるうちに日付が変わってしまった。正味三時間かかった計算になる。疲れた。
「あのな、小春子」
 なるほど疲れてるなと自分で実感できる疲れた声だった。
「はい」
 返事をする小春子もさんざ泣いてすっかり声が枯れてしまっている。
 だが、疲れたからと先延ばしにするわけにはいかない。
 また繰り返すことになる。
 だから俺は言う。
「妹とは一緒にお風呂入ったりしないし、一緒の布団で寝たりもしない。キスもしないし、セックスもしないし、もちろん結婚だってできない。だってそうだろ? 兄妹なんだから」
「でもウィリアム・ワーズワースは結婚した後も妹と同居してれた生活送ってたって」
「その変な知識はどこから仕入れてくるの。俺は英国詩人じゃないしここは日本だよ。だから結婚しないの」
「しないの?」
「しません」
「セックスも?」
「しない」
「じゃ、じゃあキスは? 家族でもキスくらいするよね?」
「日本人はふつうしないでしょ」
「ふつうじゃなかったら」
「俺はふつうがいいの」
 しゅんとする。
 自分が変わってるという自覚はあるのかもしれない。
「おにいちゃんふつうなのが好きなんだ……がっかり」
 撤回。
「お前は俺に一体何を期待してるんだ」
「革命かな」
「俺の中で小春子に対する印象の革命が起きたよ」
「そうそれ。そういうの。おにいちゃんと話してるとやっぱり楽しいんだよね。おにいちゃんだけだもん。こんな話できるの」
 そりゃ、十数年来の付き合いだ。もはや兄妹同然なのだし、会話の呼吸みたいなものがわかっている。
 そうだよ。
 わけわからんやつだってずっと言ってるけど、わかってるんだよ。何を考えてるのかもわかってるし、何を言ったらいいのかもわかるんだ。
「あのな。確かに小春子は俺にとって妹みたいな存在だし、俺も性癖として妹ものが好きではある。でも、趣味や嗜好と現実の生き方は別だ。だってそうだろ。いくらおしっこするのが好きでも、四六時中おしっこは出ないし、おしっこするために利尿剤服用するようになったら病気だぞ」
「おしっこ好きすぎて利尿剤買うなんて発想わたしにはなかったわーさすがおにいちゃんだわー」
 うるさいよ。
「それにふつうそういうときって、好きなことだけして生きていけないとか、仕事するようになったら好きじゃないことでもやらないとだめだとか、そういうたとえをしたほうがいいと思うな。おしっこって。女の子に向かっておしっこって」
 いや「おにいちゃんセックスしよ!」とか言い出すよりマシでしょ……。不服すぎる。
「ともかくな、あくまで妹みたいな、であって、妹じゃないんだよ。だいたいさっきも言ったけど、妹だったら妹以上の関係になれないだろ」
 だから妹は二次元に限るんだよ、と続けようとして。
「えっと……? もしかしておにいちゃん、妹やめてって、そういう意味……?」
 あ、なんかまずい。まずい気がする。
「そっか、そうだったんだ。そっかそっか」
「いや、何がそうなのかは分からんが、これは、ちゃうねん。いや違うんです。違うんだよ」
「じゃあもう妹やめるね! 妹やめます! はーい妹終了! お疲れ様でした!」
 そういって小春子は部屋から軽やかに去っていく。
 呆然と見送るしかできなかった。
 ふと我に返って、俺は思わずため息をつく。
 けれども、妹をやめてもらえたのだ。
 とりあえずよかったことにしよう。
 これでよかったのだ。


 翌朝。
 目が覚めて、喉が渇いて、飲み物を求めてリビングに顔を出すと、何やらキッチンからいい匂いがする。まな板をトントンと叩く包丁の音。朝の光景だ。
 おふくろが帰ってきたのかなと思ったけど、帰ってくるのは今日の夕方だ。
 じゃあ誰が?
 そんなのひとりしかいない。
「あ、湊くん。おはよう。朝ごはん作ってるからね」
 キッチンを覗き込んで、俺はお茶の入ったコップを取り落としそうになった。
「お、おま、なんちゅうかっこを」
「えへへ、新妻っぽい?」
「新妻でもそんなかっこしねえよ!」
 肩口にはフリル。肩甲骨から腰にかけてを布地が覆う以外むき出しの背中。腰にはリボン。お尻から太もも、ふくらはぎまで、何もまとっていない。
 後ろから見るとほとんど全裸である。
「どう? どう? 湊くんの好きな裸エプロンだよ!」
「いいから服着ろ」
「えー」
「えーじゃないの。おかしいでしょ」
「おかしくないよ、だって湊くんとわたし結婚するんだもん」
「は?」
 今なんて?
「結婚だよ結婚。湊くん、昨日言ったよね? 妹はやめてくれ、妹だと妹以上の関係になれないって」
「え? あ」
 ちょっと待って。
「いや確かに言ったけどあれはそういう意味じゃ」
 いやそういう意味になるのか?
「そっかそっか、湊くん、わたしのことをそういうふうに……」
「見てないよ小春子は妹みたいなもんだよ」
「みたいな、でしょ? ほら、わたし妹じゃないから。合法。結婚も合法。結婚を前提にしたお付き合いも合法。婚前交渉も合法だね! やったね!」
「勘弁してくれ!」

 ……という具合に、妹をやめたことによって、むしろ彼女はより一層こじらせてしまったのだ。

 俺と小春子のテンションが変だった理由?
 そりゃ幼馴染で家族同然に過ごしてきたって言っても俺はもう大学生だし向こうも高校生で、親の同意さえあれば結婚だってできる年齢、お互いに子供ではないのだ。子供でない男女が、一つ屋根の下でって、まるで意識するなという方が難しい。
 これがもっと歳が離れていれば違ったのかもしれない。あるいは、もっと距離感が近ければ……。
 仮定の話をしてもしょうがない。
 ともかく、俺たちは中途半端だったのだ。いろいろと。
 それが、中途半端ではなくなったので、たぶん小春子は吹っ切れたんだろう。
 あのまま妹を続けないで済んでよかった。
 と思いたい。
 え? もちろん滅茶苦茶後悔してるけど。
 テンション狂ったままだし。

「ねえ、ところでさ」
「ん」
「みんな帰ってくるのって、夕方だっけ」
「そうだけど」
 あ、待て。
「せっかくだから、こっちで皆で夕飯にしちゃったほうがいいよね。帰りに材料買ってこなきゃ」
「ちょっと待って。ひょっとして何もしなくても明日から妹やめて普通に戻ってた?」
「だって、明日から家に帰るし」
 がくりと膝をつく。
 もしかしなくても、俺がやったことってただの藪蛇だったのでは?
「でも、妹やってよかったなー湊くんの気持ちよく分かったし。うんうん」
「うんうんじゃないよ誤解なんだよ」
「またまたー。あ、そろそろ行かないと遅刻しちゃう。じゃ、また夕方にね。あっこれもなんかいいね、新婚っぽい! なんてね! なんてね! きゃっきゃっ!」
 手で顔を覆って恥ずかしそうにしながら、軽やかな足取りで去っていく。
 呆然と見送るしかできなかった。
 この後どうなったかって?
 前にもましてベタベタするようになって困ることになったに決まってるでしょ、ってことなんだけど。
 それはまた別の話だ。
 やれやれ。

~おわれ~

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